2017年11月19日日曜日

韓氏意拳の自主稽古

私も韓氏意拳を始めたばかりのころはそうだったが、
「自分で稽古しなさいといわれても、稽古方法がわからない。やみくもにやっているけど、これでいいのかどうか不安だ」
とか、
「形体訓練や站椿の順番や名前がわからない。やってみてもこれでいいのかどうか曖昧だ」
といった悩みがある人がいる。

教練ではないので指導はできないが、教程内容や名前くらいは私にもお伝えできる。
稽古の手順や名前がわかっていると、ちょっとした手がかりになって、自主稽古もとっつきやすくなるような感じが私にはある。
そんな人には、自主稽古会に一度参加してもらえるといいかもしれない。

先日も国立春野亭での駒井先生による講習会で、先生が、
「だれかに伝えようとすると、自分がなにをわかっていて、なにがわかっていないのか、曖昧な点やクリアな部分が明確になって、自分の役にも立つので、どんどんやればいい」
とおっしゃっていた。
このことは韓氏意拳にかぎらず私も実感していることだ。

興味がある方は、春野亭でいつでも自主稽古会をやりますので、いっしょにやってみましょう。
気軽にお声がけください。
手順とか名前がある程度わかってくると、講習会に出るのも楽しくなってくる。

11月28日:韓氏意拳養生功講習会@国立
JR国立駅徒歩5分の会場にて駒井雅和中級教練による韓氏意拳養生功講習会を11月28日(火)19時半から21時まで、ショートクラスで開催します。

2017年11月18日土曜日

相手を「甘やかせる」「つけあがらせる」という心配

恋人だったり夫婦だったり、子どもだったり、部下や顧客だったり、さまざまなシチュエーションで起こることだが、
「ここで下手《したて》に出ると相手をつけあがらせてしまうかも」
と思ってしまうことがある。

共感的コミュニケーションの勉強会では、相手を責めたり、間違いを指摘するのではなく、ただ共感することをお勧めするのだが、一様に不安な顔になる人が多い。
そんなことしたら、相手はますます図に乗るのではないか、自分ばかり不利な立場になるのではないか、という不安に襲われてしまうらしいのだ。

実際にそのような感じになってしまうこともある。
相手には相手のニーズがあり、相手もそれを満たそうと懸命になっている。
しかし、そのニーズを満たす手段はいくつかあり、いま相手が必死にしがみついている方法でなくてもニーズは満たせるということに気づいてもらえれば、相手にも余裕が生まれ、「図に乗る」とか「傘にかかってくる」ように見える必死な態度は消えることが多い。

相手に共感し、尊重や思いやりをもって冷静に対応したとき、相手がもしつけあがったり図に乗ったりするように見えたとしたら、それはまだ相手が自分のニーズにつながっていないからだ。
こちらは相手に共感し、なにが必要なのか、なにを大切にしているのか、どんなニーズがあるのか、ただ聞いてやり、相手が自分自身につながるサポートを心がける。
すると相手は自分のニーズにつながり、なにが必要なのかに気づき、それを満たすためにどんなことができるのかに目を向けることができる。
もしそのとき、あなたのサポートが必要だったら相手はそのようにお願いしてくるだろうし、あなたにもしその気があればお願いに応えることもできる。
あるいは、必要なのはあなたのサポートではなく、なにか別の手段が有効であることに気づくかもしれない。

共感というのは、相手が自分自身のニーズに気づき、自立した選択や行動を取れるお手伝いをすることであって、図に乗ったりこちらへの依存を助長することではない。
そのような心配はまったく無用で、自分が相手から依存されたりパワーオーバーな態度を取られたくなかったら、必要なだけたっぷりと共感を浴びせればいいのだ。

NVCをベースにした共感的コミュニケーションの学びの場を水城ゆうが開催しています。オンライン参加も歓迎。11月は24(金)19時半から約2時間です。

2017年11月17日金曜日

豊田、各務原、福井、名古屋天白区

今日・11月17日(金)の夜に豊田入りして、翌18日(土)は「語人サヤ佳「語りの会」2017~お母さんを語る~」にサポートで出演する。
場所は豊田産業文化センター・小ホール。
13時半から。

サヤ佳ちゃんの語りに楽曲を提供しているほか、ピアノで共演する。
ほかにもサヤ佳ちゃんが代表をつとめるゆめぱレットという団体のメンバーの何人かも出演する予定で、その稽古に何度かお付き合いさせていただいた。
「お母さん」をテーマにしたお話や音楽が詰まった、楽しくもしんみりしたコンサートになるはずで、お近くの方はぜひいらしてほしいのだ。

この日は夜に各務原のカフェ〈花寧香〉に行って、共感カフェを19時から。
もともと参加枠は少人数だけど、今回も席が埋まりかけていて、残り枠はせいぜいあとおひとり。
興味がある方はどうぞお早めに。

花寧香共感カフェが終わったら、そのまま北陸の実家に移動。
実家では母がお世話になっている施設に行ったり、車の整備とタイヤを冬用に交換したり、雪囲いをしたり、実家音読カフェを開催したり、合間にオンラインでの個人セッションをおこなったり、そこそこ忙しい。

23日(木)には福井から名古屋に移動して、午後いっぱい、天白区の〈アロマファン〉でテキストライティングのワークショップを開催。
そのあと長野経由で東京もどり。
という明日から1週間のツアー予定。

猫ヘンタイ・猫好きの白狼澪さんが開いているかわいくて居心地のいいカフェで、オリジナルハーブティをいただきながら共感的コミュニケーション(NVC)について学びあいます。午後7時から約2時間。

水城ゆう( mizuki-u.com )が長年つちかってきた文章術、指導法に加えて、共感的コミュニケーションにもとづいた共感のプロセスも取りいれたユニークな方法を練習します。

『朗読の力』という本を

たくさん書きたいことがたまっていて大変なんだけど、また一冊、書いてみたい本ができた。
というより、すでに断片的にはメールマガジンやブログで書いていることなのだが、それをもうすこしまとまった形にしたくなっている。

タイトルが先に降ってきていて、『朗読の力』という。

2006年に特定非営利活動法人として現代朗読協会を立ちあげる以前から、私自身は朗読をやらないくせに朗読という表現行為についてかなり大きな可能性を感じていた。
自分では朗読しないかわりに、朗読演出という形で朗読者と関わりつづけ、またステージ表現を演出という立場で数多く試み、また音楽家・演奏者という立場でおなじステージに立って共演してきた。
その過程で「朗読の力」に気づき、年を重ねるごとにその可能性をますます確信するようになってきた。

「朗読」という表現は、さまざまな表現行為のなかでも特別な位置づけにある。
だれもがいますぐチャレンジできるその表現行為には、現代人にとって非常に重要で必要なことに気づき、獲得できる、特殊な有用性が秘められている。

このことをいまここで解説するつもりはない。
それは『朗読の力』のなかで明らかにするつもりだ。
また、きちんと順を追い、ある程度の質量のことばを重ねなければ、みなさんに納得してもらうのは難しいと思っている。
だから、一冊本を書きたくなっているのだ。

まあしかし、私や現代朗読家の野々宮卯妙がやっているゼミやワークショップに参加したことがある人なら、その一端は垣間見ておられるかもしれない。
ピンと来た方がいるかもしれない一方、まったくピンと来なかった人もいるだろう。
よくわからないままについてきてくれているうちに、おぼろげながら方向性が見えてくる人もいるだろう。
なんだか曖昧な話だが、なかなかひとことで説明するのが難しい、明快に言語化することが困難なことをやっているからだ。
といって、やっていることそのものは難解でもなんでもない。
ごくシンプルなことだ。

ようするに自分の身体、生命の働きをよく注視し、そこから生まれ出ずるいきいきとした脈動を「邪魔しない」ようにする、というだけの話だ。
難しくはないが、やってみればわかるとおり、ちょっとやっかいな面がある。
それは私たちが現代的な文明生活のなかで自分の生命活動を解きはなつ機会を失ってしまっていて、むしろそれを抑制し阻害する習慣ばかりを強固に身につけてしまっている、という理由による。

長々と書いたが、ようするに朗読という表現行為は、私たちが自分自身をひとつの生命体として生かしきるための練習の有効性がある、ということだ。
みなさん、いっしょに楽しみながらやってみましょう!

朗読や群読などの身体表現を用いていまこの瞬間の自分自身をのびやかに表現するための研究の場・現代朗読ゼミ、12月の開催は5(火)/7(木)/16(土)/21(木)/26(火)、いずれも10時半から約2時間。

2017年11月16日木曜日

あした農場の日本みつばちのお世話

あした農場に行って、日本みつばちの巣箱の内検と麦わら巻きをやってきた。
巣箱はみつばち部のものと、あした農場の渡辺さんちのものの2箱があって、いずれも順調に冬に向かっている。
渡辺さんちのほうはかなり勢いがあって、先月、採蜜した。
今回の内検でも、勢いは衰えておらず、このまま元気に冬越しをしてくれると思われる。
みつばち部のほうも勢いがないわけではなく、冬越しはたぶん大丈夫だろうと思われる。

みつばちはスズメバチなどとは違って、女王蜂を含む群全体で冬を越す習性があって、そのための貯蜜が必要になる。
冬のあいだも巣箱のなかは一定の温度に保たれ、冬眠しない。
天気のいい日は真冬でも蜜を集めに出かける。
ただ、冬場に花を咲かせる蜜源植物は少なく、そういう花はみつばちにとっては非常に貴重なものとなる。
蜜源が近所にない場合は、人工的に給餌してやる必要が出てくることもあるが、あした農場の2群についていえばその必要はないだろうと思われる。

巣箱のまわりにわらを巻いてやる。
保温してやらなくても乗りきってくれそうだが、少しでもみつばちの負担を軽くしてやれば、春になったときの勢いが違うだろう。

あした農場では麦も作っているので、稲わらよりも保温効果が高いらしい麦わらをいただいて、巣箱に巻いた。
このまま無事に冬越しして、春には女王蜂がたくさん卵を産んで、働き蜂がどんどん蜜と花粉を集めてきて、幼虫を育て、さなぎから成虫へとどんどん羽化していくことを期待したい。
すると雄蜂も生まれはじめ、女王蜂を育てるための王台が作られ、新女王が誕生したら旧女王は巣箱のなかの働き蜂を半分くらい引き連れて、巣分け(分封)のために出ていく。
新女王は結婚飛行を繰り返し、あたらしい群を育てていく。

みつばちの精緻な生態は本当に驚くばかりで、興味がつきない。
年内か年明けあたりに、報告会をかねてひさしぶりに BEE’s Cafe を開催したいと思っている。
興味のある方は仲間にどうぞ。

我がレンタル歴とネットコンテンツの巨流

LPレコードをレンタルする店ができたのは、1981年ごろのことだったと思う。
私はそのとき、京都に住んでいて、バンドマンのはしくれをやっていた。
バンドマンというくらいだから、大量の音楽を聴いていて、学生時代はレコードを買うお金がなかったからもっぱらラジオや、ラジカセで録音した(エアチェックといった)音楽をカセットテープで聴いていた。

自分で稼ぐようになると、レコードを買ったりもしたけれど、月に何枚か買えるかどうかで、レンタルレコード店ができたのはほんとうにありがたかった。
レンタル屋ではLP1枚が200円とか300円で借りることができて、それを家ですぐにテープにダビングして、ラジカセやステレオセットで聴く。
当時はまだカセットテープだったウォークマンで聴いたりもした。

そのあと、LPレコードはコンパクトディスク(CD)に取ってかわられていった。
CDウォーマンも出たけれど、私はそれは使わずに、MDウォークマンを愛用していた。
つまり、CDをMDにダビングして、それを聴いていたのだ。

レンタルビデオ店も爆発的に普及した。
ビデオも最初はVHSやベータ、あるいは光学(レーザー)ディスクであるLDなどが混在していたのだが、いつのまにかVHSばかりになり、やがてはDVDに取ってかわられた。

レンタル店は音楽とビデオを、それぞれCDとDVDで扱うようになっていって、いまはその状況がつづいている。
が、この状況も間もなく終焉を迎えるだろう。
というのも、私個人についていってみても、すでにレンタル店に足を運ぶことがなくなって久しいからだ。

いまは音楽もビデオもネットで聴いたり見たりしている。
音楽は2005年にApple社のiTunesとiPodが日本にも上陸して、当初はその普及を疑問視する人もいたけれど、いまは音楽はネットで買ったり、無料で聴いたりすることが当然になっている。
音楽配信サービスも、有料コンテンツから、サブスクリプション契約による聴き放題へと主流は移ってしまった。

ビデオも単発映画のダウンロード販売からはじまって、これも月額定額制の見放題サービスが普及しつつある。
こちらは単発映画だけでなく、連続テレビドラマやお笑いなどの既成のテレビ番組の使い回しコンテンツ、さらにはオリジナルコンテンツなども充実してきている。

大手映像配信のNetflixとアマゾンのシェア争いは熾烈を極めている。
それぞれ年に1兆円近い規模の予算をオリジナルコンテンツに投入していて、アニメを含む映像の人材や設備はことごとくこの2社の元に集まりつつある。

私は最初、Huluを契約していたのだが、圧倒的なボリュームの差でNetflixに移った。
また、アマゾンはプライム会員なので見放題サービスも利用できるが、私の使い方だとNetflixのほうが楽しめる感じがする。

Netflixでは単発映画のほか、オリジナル連続ドラマが充実している。
映画をベースに連続ドラマにする場合もあるし、かつてのテレビシリーズをあらたにリメイクすることもある。
最近ではあの「スター・トレック(宇宙大作戦)」のシリーズがNetflixオリジナルとしてスタートしたばかりだ。
スター・トレックではあるが、主人公はカーク船長ではなく、スポックももちろんいなくて、黒人女性がメインキャストになっていて驚かされた。

ドラマといっても、映像のクオリティは1回1回が映画となんら変わりなく、CGやSFXも相当凝っているし、俳優も有名どころをどんどん使っている。
脚本を含む製作陣にも湯水のように予算が投入されている感じが伝わってくる。

これがいいことか悪いことなのかはわからない。
しかし、ネットの普及による商業コンテンツの巨大な流れがとめようもなく生まれてきていることは確かだ。

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2017年11月15日水曜日

見てもらうこと、聞いてもらうことの必要性

以下、共感的コミュニケーションの話につながる話だが、まずは私が稽古している武術で体感したことから書き起こしたい。
関係ないようでいて、深く関わりのあることなのだ。
すくなくとも私のなかでは。

私が取りくんでいる韓氏意拳という中国武術は、人の身体的・生命的本質を重視している武術で、それゆえに他流派からも注目されている。
ここでは人がもともと持っている自然本有のポテンシャルを練り、実際の危機にあたってその人が持っている身体能力を十全に発揮してコトにあたれるようになることを目標としている。
なにかを付け加えたり、過去の経験をなぞったり、企んだり、ということではなく、我々の生命が本来持っている能力を全体的に発揮するためにはどうすればいいか、を問うための稽古体系となっている。

稽古の過程でつくづく感じるのは、私たち現代人は自分の身体のことをじつにないがしろにしていて、ちゃんと見ていないし、身体の声を聞いてもいない、ということだ。
見ている「つもり」、聞いている「つもり」というのはある。
その「つもり」でやっていると、腕一本あげるのにおかしなことになってしまうことに気づくことがある。
本当にきちんと身体を見てやる必要があるし、声を聞く必要がある。
それができたとき、身体は必要なことによく応えてくれる。

身体だけでなく、共感的コミュニケーションでいうところのニーズにつながり、よく理解しているとき、言動は非常にクリアでいきいきとしたものになる。
自己共感がよくできているときがこの状態だ。

人と人のつながりにおいても、だれかに本当にきちんと見てもらったり、聞いてもらったりすることが、その人本来の能力を活発にさせる。
ちゃんと見てもらったり聞いてもらったりすることで、自分につながることが容易になり、自己共感が生まれていきいきとする。
だれもがだれかをそのようにいきいきさせる手伝いができるのだ。
これが共感の力だ。

問題は「本当にきちんと」だれかを見てあげたり、聴いてあげることが、我々がすでに身につけてしまっている社会習慣のなかでは、ちょっとした困難を伴うということだ。
共感的コミュニケーションを身につけるには、武術の稽古をするように、「なんちゃって」や「つもり」ではない、隙のない練習が必要となる。

アマゾンKindleストアで買える水城ゆうの著書
『仕事をやめたいと思ったときに――共感ハンドブック Vol.1』『祈る人』シリーズ1〜4『共感的コミュニケーション2017』『秘密』『桟橋』『ストリーム』『ジャズの聴き方』ほかにも続々とリリース予定です。一度ご覧ください。

2017年11月13日月曜日

文章表現WSの参加者特典追加

オンラインおよび国立春野亭や名古屋天白区〈アロマファン〉などで開催している「自己共感を用いた文章表現ワークショップ」に、参加者特典を追加します。

このワークショップに参加してくれた方には(希望すればですが)もれなく、月に3回開催している「身体文章塾」へのお試し参加1か月分を進呈します。
ワークショップで試したことをさらに深めたり、疑問点などを確認したり、まとまった作品を書きあげたり、試してみる機会を延長できます。

お試し期間のあと、継続を希望する場合は身体文章塾メンバーになっていただく必要がありますが、継続するかしないかはご自由に選んでください。
もちろん、お試し期間特典を利用するかしないかも、自由に選択できます。
ご利用いただければ幸いです。

11月23日:自己共感を用いた文章表現WS@名古屋天白
水城ゆう( mizuki-u.com )が長年つちかってきた文章術、指導法に加えて、共感的コミュニケーションにもとづいた共感のプロセスも取りいれたユニークな方法を練習します。

12月3日:自己共感を用いた文章表現WS
オンライン参加も可。

2017年11月12日日曜日

自己共感がもたらす「ほがらかさ」

自分が機嫌よくほがらかでいるというのは、とても大切なことだ。
不機嫌な態度でいる人と、機嫌がいい人とでは、どちらに近づきたくなるだろうか。
あるいはいっしょにいてこちらも気が楽なのは、どんな態度の人だろうか。

お母さんが不機嫌だと、家族全員が暗い気持ちになってしまう。
ひょっとして子どもは勉強がはかどらなくなったり、話したいことも話せなくなってしまうかもしれない。
お父さんも本来の自分の能力を発揮しにくくなるかもしれない。

逆に家族のだれかがほがらかだと、みんなも元気になる。
多少しんどかったりつらいことがあったりしても、ほがらかな人に話を聞いてもらって解決策を探してみようと思えるかもしれない。
自分もがんばろうという気持ちになれる。

だれかの気分はまわりに伝染し、影響を与える。
共感的コミュニケーションでは、自分と他人の感情やニーズを切りはなし、影響を受けない、ということを重視しているが、そうはいっても落ちこんだりいらいらしている人のそばにいれば気になるし、機嫌がいい人のそばにいればこちらも元気になる。
人にはミラーニューロンという神経系があって、本能的にまわりの人の感情や身体性を写し取ろうとしてしまう。

では、どうしたらいつもほがらかでいられるのだろうか。
いつもほがらかな人は、いつもしかめつらしい人となにが違うのだろうか。

私自身の経験では、ほがらかさはマインドフルネスや自己共感、心身のいきいきさなどからもたらされる。
いまこの瞬間の自分自身の状態やまわりのことに気づいていて、必要なことや大切にしていることがあればそのことを理解している。
こころも 身体も分離することなくまとまりをもってほどよくいきいきしていて、必要があればすぐに動けるような一種の運動状態である「活体」にある。

こんな状態にあるとき、その人はまわりにたいして感覚や態度がオープンになっている。
自分自身を受容しているだけでなく、他者をも受け入れ、話を聞く準備ができている。
このオープンさは自然なほがらかさを生む。

多くの人が想像できると思うが、自分がいまここにつながってオープンになっているとき、自然に微笑みが生まれ、余裕や客観性がそこにあると感じるだろう。
ここに至るには、ただただ、マインドフルネスと自己共感を心がけ、自分の心身を見るよい視力を養うことが必要だ。

11月開催:国立春野亭共感カフェ(11.14)
NVCをベースにした共感的コミュニケーションの学びの場を水城ゆうが開催しています。オンライン参加も歓迎。11月は14(火)19時半/27(金)19時半、いずれも約2時間です。