2010年6月22日火曜日

「系列」にはいるということ、独立を保つということ

えちぜん鉄道という田舎の単線に時々乗る。
まことにのんびりしていてよろしい。九頭竜川添いの扇状地を抜けて走る車窓からの景色は、とくにこの季節、大変気持ちがいい。ほかの季節ももちろんすばらしい。そして冬は雪景色がいい。
第三セクターの経営だが、かつては京福鉄道という会社がやっていた。経営が行き詰まり、しかし電車をなくすのは困るという地元の声でなんとか残ったのだ。
運転手のほかに、車掌のかわりにキャビンアテンダントと称する若い女性がひとり乗っていて、愛嬌を振りまいている。なかなか感じがいい。
先日乗ったら、なぜか彼女はいつもの制服ではなく、野球のユニフォームのようなものを着ている。よく見たら、ジャイアンツのユニフォームを模したものだった。
なんでこんな田舎でジャイアンツ?
会社から支給されたものだろう。いくら彼女がジャイアンツファンだからといって、そんなものを制服の代わりに着て仕事ができるわけはない。
しばらく考えて、ようやくわかった。えちぜん鉄道という第三セクターには、大口出資者として福井新聞社がいる。福井新聞社は福井放送(FBC)という地方テレビ局の株主でもある。福井放送は日テレ系列のテレビ局である。日テレといえば読売新聞であり、ジャイアンツである。
つまり、読売新聞、日テレ、福井放送、福井新聞、えつぜん鉄道、という系列に添ってジャイアンツを応援せよという命題が下賜され、その見える結果のひとつがえつぜん鉄道のキャビンアテンダントがジャイアンツのユニフォームを着て乗務する、ということになっているわけだ。
これがつまり「系列」にはいる、ということだ。

日本社会はいくつかの系列で成り立っている。ひょっとしてこれらの系列は、元をたどればひとつに収束するのかもしれないが、我々の目には大きないくつかの流れが見えている。
経済の系列や利権の系列など、その性格で分けられるものもあるが、たいていは重複している。
この系列に乗れば仕事にあぶれないし、食うには困らない。一生安泰というやつだ。まれにへまをして系列からはじかれる者もいるが、他のものはそれを見て、自分はそうならないように息をこらして生きている。
生まれつきこの系列に乗ってしまっている者もいる。たとえば鳩山前首相のような人。あるいは多くの財閥や大企業の二代め以降。有名タレントのジュニア。
そうでない者は、一生楽して暮らしていくために、若いときからこの系列にはいるために必死になる。
たとえば就活であり、受験勉強である。
系列に乗れれば食うには困らないが、阪神ファンなのに巨人のユニフォームを着させられることもある。そもそも、阪神ファンであることすら忘れてしまうように飼いならされるだろう。
DoCoMo の社員で iPhone を使いたい人はどうするのだろう。
ま、余計なお世話ではある。

自分のことを振り返ってみたい。
私はこの「系列にはいる」ことができなかった人間である。一時、小説家としてデビューし、商業出版という経済系列(このなかにもさまざまな系列が存在するのではあるが)に乗るチャンスがあったのに、乗れなかった。
世間ではこういう人間を「負け組」という分類に入れる。
理由は簡単である。小説が売れなかったからだ。あるいは、売れそうな小説を書かなかったからだ。
そのために金銭面では大変な苦労をしたし、いまも苦労している。しかし、その苦労のおかげで、「系列外にいる」という立場を獲得することができている。この歳になってそのすばらしさ、貴重さがしみじみとわかってきた。
私はアイ文庫という会社に関わっている。また、現代朗読協会という NPO法人にも関わっている。いずれもどこの系列にも属していない。
「独立系」という言葉があるが、まさにそれのビュアな一例であろう。こういう組織は、運営や経済的な苦労と引き換えに、活動の自由を得ている。まったくもって貴重で、ありがたいことだと思う。
極端ないいかただが、どこかの系列に吸収されて食うに困らなくなる代わりに自由を失うのだとしたら、私は自由なまま餓死するほうを選ぶ。
しかし、現実には、家族がいたり、ともに働くパートナーがいたり、仲間がいたり、私ひとりの問題ではない。
勝手きままにふるまって、私のみならず彼らをも餓死の道連れにするわけにはいかない。
そこのかねあいが難しく、苦しく、そしてまたおもしろいのである。

もうひとつ風呂敷を広げれば、私はこの苦しい状況がいつまでもつづくとは思っていない。経済状況の変化、人々の価値観や生活スタイルの変化、そういったものを注意深く観察していると、渦巻きのような流れが見えてくる。その流れは「独立系」の人間にとって悪いものではない。
また、ただ座して流れが変わるのをながめているつもりはない。流れの変化そのものを私たちの活動によって起こしたいと考えている。
そのためのツールはすでに手に入れている。「現代朗読」であり、NVC(非暴力コミュニケーション)である。