2010年7月1日木曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.2

私はもともと手先が器用なところがあり(それは洋裁/和裁をこなす母親からの遺伝だ)、女の子に混じってのピアノレッスンもめきめきと上達し、あっという間にソナチネ、ソナタまで進んでいった。小学6年生のころにはベートーベンのピアノソナタを弾いていた。

もちろん音楽がわかっていたわけではない。ただ技術的に指を小器用に動かして、楽譜に書いてあるとおりにピアノを弾いていただけだ。音楽そのものが楽しいわけではなかったのと、次第に思春期に近づいてきたこともあって、私のピアノに対する気持ちは変化してきた。

女の子ばかりのピアノ教室に男ひとりで通っていることが、だんだん気恥ずかしくなってきたのだ。やんちゃ盛りのガキ仲間を尻目に、レッスンバッグをさげてピアノを習いに行くことが恥ずかしかった。また、そのことをからかわれたりもした。

とくに嫌だったのが発表会だった。高学年になると、相当弾けるようになっていた私は、プログラムの終わりのほうで演奏するようになった。当然注目が集まるわけで、男の子がひとり、難しい曲を発表会で演奏すると、いろいろな人からいろいろなことをいわれた。

ピアノレッスンに通うことが嫌でいやでたまらなくなった私は、両親に頼みこんでなんとかやめさせてもらうことにした。両親は、中学生になったらやめてもいい、という条件で、それを許してくれた。中学生になると私はピアノをやめ、代わりにブラスバンド部に入った。

いずれにしても音楽からは離れなかったわけだ。ブラスバンド部では花形のトランペットを選んだ。目立ちたがりだったことは認める。が、私には決定的に不得意なことがあった。それは集団行動ができない、ということだった。ペットはそこそこ吹けるようになったのだが。

団体の構成員のひとりとして人と足並みをそろえてなにかをやる、ということに決定的な適正を欠いていた私は、せっかくトランペットが多少吹けるようになったのに、ブラスバンドが嫌になって、中学2年生になる前にやめてしまった。そのかわり、音楽を聴くようになっていた。

中学に入ったとき、まさか策略ではないとは思うのだが、音楽好きの父親がレコードを聴くためにステレオセットを買った。当時はまだまだ一般家庭にステレオセットは普及しておらず、珍しいものだったと思う。そして私にも聴いてもいいと、LPレコードも何枚か買った。

レコードはポピュラーなクラシック曲ばかりで、たとえばカラヤン指揮・ベートーベンの交響曲第5番、ベーム指揮・チャイコフスキーの悲愴協奏曲やピアノ協奏曲、安川加寿子のピアノ小品集といったものだった。それしかないものだから、繰り返し繰り返し聴くのだ。

ピアノを習っていた小学生のころには、音楽のことなどなにもわからなかったけれど、いったんレッスンから離れてみると、音楽のおもしろさがなんとなくわかりかけてきていた。ブラスバンドでいろいろなピアノ以外の曲に接したこともよかったのかもしれない。

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