2010年8月6日金曜日

朗読の快楽/響き合う表現 Vol.33

20歳代の音楽と小説修行とラジオの時代、30代の商業小説とネットの時代、40代のラジオとネット事業と朗読研究の時代と経てきて、もっとも成功したのはなにか。経済的にはいろいろあるが「成功」の基準を金銭に置かないとすれば、まちがいなくひとつだけある。

それが現代朗読協会のゼミシステムだ。継続的で、非暴力で、幸福な一種のコミュニティとして機能している。これは私が意図的に作ったものでもなければ、予想していたものでもない。私の意図外で自然発生的に奇跡のように成立したシステムだ。もちろん、まだ未完成ではある。

この場が唯一、私のやってきたことで「成功した」といえることかもしれない。ただし、この場もまだまだもろく、いつ消えてなくなってしまうかわからない、という不安はある。その主な理由は、やはり経済的なことだ。現代において場の維持にはまだまだ経済の裏付けが必要だ。

私は資産家でもないし、商売上手なビジネスマンでもない。また、売れっ子作家でもない。いまのこの場を維持するために必要な資金のために、もう少しまじめに売れる小説を書いておけばよかったと思うこともあるが、たぶんそんなことをしていれば、いまここにはいないだろう。

現代朗読協会という場を守るために、ある程度の経済的裏付けが必要なことはまちがいない。そのひとつに「ゼミシステム」があるわけだが、それだけではもちろん足りない。そこで、これはあまりこれまで積極的にやってこなかったことだが、補助金を申請するという方法もある。

積極的ではなかったが、何度か挑戦したことはある。その際にわかったのは、補助金の申請というのはとても面倒臭い作業だ、ということだ。NPO法人の認可を得るために都に書類を提出したことがあるが、それに近い作業になる。申請事業の企画を作り、予算書を整える。

資料をそろえ、必要事項を申請書式にしたがってきちんと書きこみ、窓口へ持っていく。書類審査がおこなわれ、不備がないとわかれば、事業内容の具体的な説明のために出かけていって、担当者たちとの面談がある。その後、本審査などがおこなわれ、必要があればまた呼ばれる。

なので、ある程度は「作文」であり「つじつま合わせ」になってしまう。それをまた確信的に「説明」しなければならず、そこはかとないうしろめたさがつきまとう。などと感じているのは、私だけだろうか。とにかく、私はこういう申請作業がとても苦手なのだ。

で、過去何度か申請したものは通らなかった。ところが、これは私が申請したわけではないのだが、今年のはじめにおこなった小中学校への朗読公演に対して、文化庁から補助金が出ることになった。これは世田谷文学館との共同事業で、申請は世田文がやってくれたものだった。

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