2011年1月14日金曜日

タイガーマスク現象をかんがえる

児童養護施設にランドセルがプレゼントされたことをきっかけに、全国的にタイガーマスク現象が広がっている。
マスコミのニュースではおおむね「美談」として紹介され、取り上げ方も加熱しているようだが、なんとなく違和感をおぼえるのは私だけだろうか。

違和感の原因についてかんがえてみた。
違和感などない、すばらしい話じゃないか、問題なし、と思っている人は、読まなくていいです。以下は私の個人的見解であり、自分自身の考えをまとめるために書いたメモのようなものです。暖かな目で読んでいただければ幸いです。

私は児童養護施設には関わりがあり、施設の運営の実情についても一般人よりわかっているつもりだ。施設運用をしている人たちにとっては、善意の贈り物はありがたいだろう。予算は常に逼迫している。しかし、テレビでは必要以上に困窮を強調するような報道がされている。
ありがたいことにはありがたいが、しかし全国ニュースで大々的に取り上げられ、場合によってはテレビカメラが入って取材されるほどのことだろうか。というのは、今回のタイガーマスクに限らず、これまでにも善意の人は常にいて、定期的な寄付やボランティアはつづけられてきたからだ。
手前味噌になるが、私も現代朗読協会として児童養護施設の子どもたちにボランティアイベントを定期的に提供しつづけている。今年もおこなう予定だ。
これには多くの人がかかわり、多大な労力(と資金)を提供している。金銭に換算すればおそらくランドセル数十個分ではきかない。
このことについてはとくに取り上げられることもない。取り上げられたくもないが。

施設の子どもたちはタイガーマスク現象をどう思っているんだろうか。私が施設の子どもだったとしたら、どう感じるんだろうか。
幼い子どもならともかく、施設には18歳までの思春期の少年少女たちもいる。彼らはどう感じているのか。
つまり、だれかが伊達直人を名乗りランドセルを施設にプレゼントし、それを見て我先にと多くの大人が同調してランドセルやら学用品やら現金をプレゼントしはじめる世間の雪崩現象を見て、施設にいる少年少女らはどう感じているのだろうか、ということだ。私はそのことをかんがえている。

私が危惧するのは、この「美談」に覆われてコトの本質が隠されてしまうのではないか、ということだ。施設の現状、施設にいる子どもたちの事情、その背景にある社会問題、またこういった施設にずっと関わり続けてきたげろきょを含むボランティアの人々の活動のこと。
マスコミ報道の貧困は、物事のほんの一面――しかも一番目立ってウケのいい面しか報道しない、ということだ。我々はそれをまず受け取るのだが、その背後になにがあるのか、じっと目を凝らしてかんがえなければならない。そして自分がそのコトとどう関われるのかかんがえてみる。
もちろんこれがきっかけとなって、児童養護施設やそれに関わる問題を、社会全体の問題としてきちんとかんがえる流れができてくれば、幸いだと思う。
すくなくとも私は、一時的なプレゼントで一種の「社会に対する鬱憤を自己満足で慰撫」するような行為には走らず、これまでどおり、施設の子どもたちと朗読パフォーマンスを通じて柔らかに共感しあう場を作りつづけていきたいと思っている。