2011年7月18日月曜日

テキスト表現ゼミ秀作選「献血」

毎週日曜日の夜、羽根木の家でおこなっている「テキスト表現ゼミ」の習作から秀作を不定期に紹介していくシリーズ。
今回は久保りかの作品。テーマは「献血」。

久保りかは文章表現というものをかなり「わかって」いる人だろう。
そもそも、「わかる」とはなにか、ということだが、ここでいう「わかる」とは、自分の感触としてどのように書けば、読み手にどんなものが伝わるか、ということが直感的に推察できる、という程度の定義にしておく。ちょっと曖昧だけど。
これは作家のセンスとしてかなり重要な部分だが(商業的にはね)、しかし、まったくなくてもかまわない部分でもある(非商業的にはね)。ただし、そのセンスがあるとないとでは、文章の手触りはまったく変わってくる。
テキスト表現ゼミのメンバーでいえば、ふなっちやかっしーがそのセンスをまったくかまわずに書けるタイプで、三木義一や久保りかが読み手に伝わる感触のセンスを持っている人だ(ざっくりいえばね)。

この作品は奇妙な、そしてどこなくエロティックな身体感覚が魅力の作品だ。それはおそらく、久保りかの身体感覚そのものなのだろう(私は直接存じあげないけれど)。
私からアドバイスをひとつするとすれば、
「前田さんは、しゃべらない」
という書きだしではなく、
「訪問先は、古いマンションの一階の一室だった」
ここから書けなかったか、ということだ。

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  献血  久保りか

前田さんは、しゃべらない。
無口というより無表情だし、意図的にしゃべってくれない、気がする。
介護福祉士という仕事を選んだ動機が想像できない……と、運転席の横顔を見つつ思った。
私は、訪問ケアのアルバイトをしている。
企業が運営しているもので、難しいケアは資格を持った社員がしてくれる。
今日は、前田さんと二人きりだ。

訪問先は、古いマンションの一階の一室だった。
前田さんは、仕事用の笑顔を作って、話しかけている。
「マリさんこんにちは」
マリさんは、椅子に座って、金色の杖をついていた。
声はか細いけれど、表情は優しげだ。
こう綺麗にされているのなら、入浴介護はなしだろう。
仕事としては、楽そうだ。
だけれど、訪問介護が必要な独居老人、というにはなんだか妙だった。
第一に、部屋が殺風景で、家具だけが豪奢で浮いている。
第二に、マリさんは随分とおきれいだったのである。
銀髪がくるりと巻かれていて、フリルのワンピースに、金のアクセサリー。
いい所の奥様だったのだろうか。
マリさんは、私と目が合うと微笑んでくれた。
「お手玉しましょうよ」
言いながら綺麗なお手玉を取り出した。
前田さんは他の仕事があるのだろうけど、立ち上がり出て行ってしまった。

「あなたは、そちらにお座りなさいな」
指された椅子も、布張りの美しいものだった。
お手玉を受け取ると、マリさんはやってみせて、とせがんだ。
私は満面の笑みを浮かべながら、三つ、両手でひょいひょいと投げて受ける。
マリさんの反応を伺おうとした途端、指に痛みが走った。
「いたっ!」
声を上げてお手玉を落とす。
後から考えたら、お手玉に針が仕込まれていたのだと思うけれど、すぐに、考える暇もないようなことが起こった。
マリさんは、私の手をグイと引っ張ると、口に入れたのである。

細い悲鳴をあげるが、思いのほか力は強い。
ここで私が力任せに引いたら、マリさんが転倒する。
咄嗟に固まると、マリさんは、ちゅうと音を立てた。
血の出た指を吸っているのだ。
目を見開いて、小鼻を広げて、一心不乱に吸っている。
舐めているのでも、噛んでいるのでもない。
痛くは、なかった。

身を献ずる精神で、というのは理解していたけど、まさか血まで献ずることになるなんて。
(だから献血っていうのか)
子どもの頃、怪我をした場所に口をつけて、血を吸ったことがある。
「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる吸血鬼が、ワイングラスで飲んでいたのが、おいしそうに見えたからだ。
よく怪我をするものだから、吸う機会には事欠かなかったけれど、そのたびにおいしいものではないと思った。
(吸われる側のことは、考えなかったな)
食い込む指が、痛い。
「マリさん、おいしい……?」
マリさんはうっとりとまぶたを閉じて、答えてくれなかった。
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