2012年8月31日金曜日

嫉妬という感情(1)

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「嫉妬」という感情を共感的コミュニケーションでどのように扱えばいいか、ずっとかんがえつづけている。
前提として、ひとことで「嫉妬」といっても、いくつかの定義があることを確認しておきたい。
私のかんがえでは、大きくふたつに分けられるような気がする。

ひとつは境遇や物質的なものが原因で起こる嫉妬。
自分が持っていないものを人が持っていたり、自分がそうありたいという境遇を人が手にいれていたりするのを見たとき。

もうひとつは異性がからんでいるときの嫉妬。
自分の好きな人、恋人、パートナーが、別の人と仲良くしたりしたときにムラムラした気分になるときの嫉妬。

まずは前者の嫉妬についてかんがえてみる。
たとえば、私は旅行——とくに海外旅行をながらくしていなくて、海外旅行をしたいなあと思っていながらできていない現実がある。
それなのに、毎年のように——ときには年に何度も海外旅行をしている人を見ると、嫉妬を覚える。
そのときの自分の感情の動きはどうなんだろう。

自分は(事情があって)海外旅行に行きたくても行けないのに、その人はたやすく行けている。
「うらやましい」という感情と同時に「不平等だ」という思いもあるようだ。
海外旅行に行くためには、お金も必要だし、時間も必要だ。
自分はこんなに努力しているのに、お金も時間もない。
それに比べてあの人はそんなに努力していないのに、海外旅行にしょっちゅう行っている。
不平等だ、というかんがえ。

これを整理するためには、まず自分のニーズをかんがえてみる必要があるだろう。
つまり、自分に共感すること、セルフエンパシー。

だれかが海外旅行に行っていることをうらやましいと思うとき、自分のニーズはなんだろう。
自分も海外旅行に行きたいと思っている。
海外旅行に行くことによって満たされる自分のニーズは?

私の場合、海外旅行に行くことによって、なにかあたらしい作品を作りたいという表現のニーズがある。
楽しみのニーズもあるかもしれない。
日常から離れることによる発見や創造性のニーズもある。
なにものにも縛られずに旅行することの、自由や独立や空間のニーズもある。
こういったことが、現在は満たされていないことの悲しさ。

それを満たせている人を見ることで、うらやましい、自分もそうあればいいのにということから起こる嫉妬、ということだろう。
このとき、ニーズを満たせている人と、満たせていない自分を比較することでは、不幸な感情しか起こらないということをまず確認したい。
自分が不幸になる最短手段は、他人と自分を比較することだ。
ではどうすればいいか。

他人と自分を比較することをやめて、自分のニーズを大切にすること。
私のニーズは表現、楽しみ、発見、創造性、自由、独立、空間といったものだった。
それを満たすために、いま、なにができるか。
そのことに集中してみる。
不思議に嫉妬の感情は消えていく。

嫉妬の感情ではなく、自分のニーズを満たしたいという動きが起これば、もうなにも問題はない。
ただ行動するのみだ。