2012年8月23日木曜日

現代朗読基礎講座でこんなことを話した(3/3)

(以下、質疑応答のなかでの返答部分のみ)

年齢に逆らって、筋力の衰えにある程度抵抗することはできるってことだよね。つまり訓練すればするだけ筋力は回復するんです。だから必要性があるんですね。
トレーニングしない人は、だんだん可動域がせまくなって、こんだけの表現しかできないおじいさんかおばあさんになってしまう。これ頑張ってればつくし。矍鑠としたじじいになりたいと私は思うんですけどね(笑)


姿勢も自分のコントロールなので、自分のコアマッスル、姿勢筋をなるべくしっかりしておきたい。疲れて姿勢が変わってしまうと表現は変わってしまいます。


呼吸筋を鍛えることで、安定的な朗読もできるし、安定的な朗読もできるってことは不安定な朗読はいつでもできるんだから、表現の幅が広がるよね。
それから呼吸法によって姿勢筋も鍛えることができます。姿勢筋の鍛え方もやりますけど、呼吸法自体でもう結構姿勢筋を鍛えることになる。
呼吸っていうのは普段無意識にやってるじゃないですか。でも、意識的にすることもできるでしょ? つまり無意識と意識の交差点なんですよ、呼吸法ってのは。

人間の身体の中には、自分で意識的に動かせるものと意識的に動かせないものがあります。
例えば筋肉で言えば随意筋肉と不随意筋肉。神経で言えば、随意神経系と不随意神経系ってのがある。
で、交差点になってる呼吸は両方にアクセスできる利点があるんです。神経系で言えば、不随意神経系ってのは自律神経のことなんですけど、自分で交感神経をいま活発にしようとか、副交感神経をちょっと活性化しようとかいうのは、意図的にできないんです。でも、唯一呼吸を使えば、そのコントロールが少しできるんですね。
我々は交感神経ばっかり働かせている生活を送っているので、いつも不安になったり、落ち着かなかったり、イライラしたりしがちなんですね。夜寝られなくなったり、便秘がちになったり、あるいは下痢気味になったり、体の不調を訴える人が多いです。それはもう自律神経の不調ってことが原因ですね。そういうときに交感神経ではなくて、副交感神経をしっかり働かせてやる、つまりストレスを解消していくための神経、休息の神経、鎮静のための神経、これをしっかり働かせられる呼吸法が有効なんですね。
みなさんも呼吸法をやってもらうことで、副産物としてとっても落ち着いたメンタルを作ることにも役に立ちます。毎日が、楽しくなる。
それからマインドフル。「今ここに私がいて、安全に落ち着いてこうして居られるんだ」という意識です。訓練しだいでいつでもそこに戻ってこれることができる。それは、ストレスフルな現代生活を生きるための、ストレスマネージメントとしてのスキルにも繋がります。ぜひ活用してください。


映画とか演劇とかダンスとか音楽とかいろんなジャンルの現代表現がありますね。
どのジャンルも20世紀の文化の中で発展し、発達してきて、いろんな工夫がされてきた。
最終的に一番とんがったところっていうか、まだだれもやってない未開拓の分野ってのはどのジャンルもほとんどなくなってきてる。誰が何をやっても、「これってあの人がやってるのと同じだよね」とか、手法としてね。特に、コンテンポラリーって手法が取り入れられてきたわけですね、20世紀には。現代芸術がね。
コンテンポラリーももはややり尽くされていてコンテンポラリーそのものがコンテンポラリーっぽいよねって感じになっちゃっている。一つの型になっちゃってる。
コンテンポラリーダンスなんかも何をどうやっても自由にやってもいいはずなのに、「コンテンポラリーっぽい」というくくりがある。
現代音楽/コンテンポラリーミュージックもそうだよね。現代音楽っぽい感じ。ようするに行き詰まってるんですよ。
ところがね、唯一ね、コンテンポラリーがまだないジャンルがあるんです。それが朗読なんですよ(笑)。
我々、今、色んなことを試行錯誤でやってるけど、何をやっても誰もやったことないことばかりなんですよ、これが。楽しくてしようがない。


人間の耳は驚くべき潜在能力を持っているんです、実は。でも我々はそれを全然使っていないで生活してるわけ、毎日。
全盲の人たちの聴覚能力ってすごいじゃないですか? でも、あの人たちはもともと聴覚能力がすごいんではなくて、目が見えないからやむを得ず聴覚能力を上げて生活しているんです。我々目が見えるから聴覚能力をさぼらして生活してるんです。でも、聴覚能力をサボらせずにしっかり使えるようになっていけば、耳の解像度が上がっていけば、全盲の人となんら変わらず聴覚を活かすことはできます。


身体を動かすことと、読んだり聴いたりするって処理系が別々になってるんですよ。特に現代人はね。これ、でも、おんなじ処理系でやりたいんです。やれるんです。身体を動かすことと、声を出すこと、聞こえてくること、全部同じ軸の中で処理していく。全部連動している。ホントは連動してるんですよ。

読むって行為は大脳皮質の働きが多いんですね。大脳皮質で意味を理解して言葉を作って、それを舌の動きとかそういうのを司っている小脳とかそういうところに伝えるわけです。でも身体の動きってのはダイレクトに小脳が司ってる。
歩いたりするときに頭の中でいちいち考えないでしょ? 歩き方とか、自動的にやってるわけです。それをコントロールしようと思うと、大脳から小脳に一回命令を伝えるわけです。そこが繋がっていなくてスムーズにいかないとバラバラになっちゃうんです。

身体の動きと、しゃべりと、聞くことと。これはもう練習しかないんです。
人間の耳という聞くためのセンサーは、ただ情報を受け入れるってことができるんですけど、でも我々は大脳が発達しちゃってるから何か音が入ってくるとそれをどういう音かって意味づけしようとするわけ。「セミがないてる。アブラゼミだ」とか思うわけです。セミの音そのものを聞いていない。アブラゼミが鳴いてると思ってしまう。カラスが鳴いてると思ってしまう。そうではなくて、ただ音を受け入れてそれで反応していけるっていう、そういう反応体としての精度を上げていけば、表現者としてすごいことになる。


我々、体が低い時は小さい声っていう意味を与えちゃってるのね。
この時に大きな声でもホントは別に関係ない。そういう習慣で意味付けられたことが身体に染み込んじゃってるんで、こう縮こまって大きい声出すってのにすごい抵抗があったりするんですけど。ホントはできるんですよね。


聴覚ってのは受動的な感覚なので、実は音は普段から全部聴いてる。だけど、いちいち注意を向けていたら日常生活に都合が悪いので、聞かない習慣を、聞こえないことにしている習慣をもってしまっているだけなんですね。でも表現するときは実はそれ全部聞きたいんですよ。
逆の考え方もあるけどね。集中して何にも聞こえないようにしてこれだけやるっていう。それは面白くないですね。外のものを全部受け入れてどんどんそれが変化していく。それが生きた表現。


なにか表現を受け取った時に、感想を求められた時に、友達のライブとか行くと、「ねぇどうだった?」って聞かれて、当たり障りのないことしか言えないんですけど、そういうときに自分のなかを見て、こんな気持ちだった、とか、こんなこと思い出した、とか言ってあげると、たぶん喜んでもらえると思いますね。受け取ってもらえたって感じがすると思うんですよね。つまり評価をするんではなくて、自分の中で起こったことを伝える。
評価っていうのは、上手だったとか良かったとか自分の外側にある基準に当てはめて、それで判断するってことですね。そんなのはどうでもよくて自分の中で起こったことを伝える。つまり「全部受け取りましたよ。私の中でこんなことが起こりましたよ」と伝える。それの練習です。


心がけてほしいのが「マインドフル」ってことなんですよ。「今ここにいる自分の状態」いろんなこと思い浮かべたり、考えるのではなくて、「今ここにいる自分の状態」や、まわりから聞こえてくること、見えるものそれに意識を向けてもらいたい。できれば、「マインドフルノート」みたいなのをつけてもらうといいんだけど、そういうときに色んなことに気づくんですよね。ほんの些細なことなんですけど。そういうのをちょっと自分でメモったり、あるいは気づいたことを覚えておいたりして、二週間後かな? またこの講座がありますけど、「マインドフルになってみたらこんなことに気づきました」っていくつかでいいんで教えて欲しいんですね。
それと朗読はこのエチュード本に限らず、皆さん好きなものを読んでみてください。どんなものでもいいからね。読んでいる過程で、こんなことにぶつかったとか自分はこうしてみたいとか色々出てくると思うんで、そういうことに対してみんなで解決していくということもやっていきたいと思います。