2012年9月7日金曜日

嫉妬という感情(2)

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「嫉妬」という言葉のひとつめの側面については、こちら「嫉妬という感情(1)」ですでに書いた。

もうひとつの側面である、異性がからんだときの「嫉妬」についてかんがえてみよう。
私は男なので男性側の視点からかんがえてみるが、自分が好きな女性やパートナーが別の男性と仲良くしているのを見たときに生まれる嫉妬という感情。
だれもが経験のあることだろう。
とくに若いころは強い嫉妬に悩まさせられたものだ。

「若さ」が嫉妬を増幅させるかもしれない、というところに、この感情をとくヒントのひとつがあるかもしれないが、いまは年齢のことはちょっと棚上げしておく。


嫉妬の感情の奥には強い「不安」がある。
愛する女性が自分よりほかの男を選んでしまうのではないか、自分を嫌いになってしまうのではないか、あの男に取られてしまうのではないか、自分よりあいつのほうが彼女にふさわしい男なのではないか。
この不安は自分についての自信のなさや、彼女の自分にたいする愛情の不信から来る。
いまここにいるありのままの自分が、彼女にとって物足りない存在で、彼女を満足させられず、よりすぐれたほかの男に取られてしまうのではないか、という不安だ。

問題は、自分自身に揺るぎのない確固たる自信を持っている人などいない、ということだ。
自分が未熟であることを感じたり、自信が揺らぐことがある以上、嫉妬を完全になくすことは難しい。
では、どうすればよいか。


自分を完全に信頼することはできない代わりに、自分が愛するパートナーを完全に信頼することはできないだろうか。
彼女はいま、自分とともにいることを選んでくれた。
彼女は不完全で未熟な自分の存在を丸ごと受け入れてくれている、と思うことはできないだろうか。
その彼女の、こちらとのつながりのニーズを、信頼できるものとして受け入れることはできないだろうか。

彼女が本当に信頼できるかどうかはともかくとして(笑)、こちらが彼女を完全に信頼しているときは、嫉妬にとらわれることはない。
彼女はこちらが嫉妬にふりまわされた言動をとらないことで自分が信頼されていると感じ、さらにこちらとのつながりが深まるかもしれない。

あるいはこちらが信頼していたにも関わらず、のぞんだこととは別の悲しい結末を迎えるかもしれない。
その場合は、彼女には別のニーズがあったことを受け入れ、彼女とのつながりのニーズがそこなわれたことについて自分を充分に悼んであげよう。
そうならないことを祈るけれど。