2014年1月18日土曜日

1月17日という日

阪神淡路大震災から昨日で19年だった。
私はまだ福井の実家に仕事場があって、まだ起きていなかったのだが、かなりの揺れで目がさめてすぐにテレビをつけことを覚えている。
しばらくたって、大阪で死者3名といった情報が流れてきて、しかしすぐあとにヘリコプターの映像で阪神高速が横だおしになっているのが送られてきた。
これはただごとじゃないぞと思っていると、かなり錯綜しながらも次々と情報が更新されていった。
火災も広がっていった。

その後はだれもが知っているとおり。
と書いてみたが、もう19年もたっているのだ。
あの年に生まれた子どもは今年18歳になる。
20歳以上、25歳から30歳以上でないと記憶もないことだろう。
が、YouTubeには放送映像が残っている。

YouTubeの映像をたどっていると、どうしても3年前の311の映像にたどりついてしまう。
いずれにしても身体が冷たくなるような映像であり、記憶がよみがえってくる。
これはいつ、どこでまた起こっても不思議ではない。
というより、いずれかならずまた起きることであって、過去の記録映像ではあるけれど未来の予定映像でもある。
私たちはこのことを肝にめいじて日々生きていきたいのだ。
原発もオリンピックも、福祉行政も教育も、このような地球――とりわけ日本列島という地震多発地域であることを抜きにしてはかんがえられないし、それをかんがえないというのはあまりに思考停止、短絡的利益・欲望主義といわれてもしかたがないのではないか。