2014年3月25日火曜日

純粋な貢献のニーズと義務感

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げろきょこと現代朗読協会は共感的コミュニケーションを運営ベースとしている。
主宰者は私だが、私は現代朗読協会という「いれもの」のありようや方向性をしめすだけで、そこに君臨するというようなことはない。
指導するということもない。
参加者全員の自主性とニーズを大切にし、お互いに尊重しあう場となっている。
だから、だれもが安心して自由に表現活動をおこなうことができる。
ここには評価も批判も非難もない。

げろきょネット告知隊という、みずから告知活動の手伝いを申し出てくれた何人かのグループがある。
広報資金もない現代朗読協会にとって、無料で告知ができるインターネットは大変ありがたい存在なのだが、あちこち告知を出そうとすると手間がかかる。
それを手分けしてやってくれている人たちがいるのだ。

その人たちに向けて、今日はこんなメッセージを出した。
自分の仕事がとどこおっていることについて「ごめんなさい」といっている人がいたからだ。

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ネット告知隊のみなさん。
いつもサポートをありがとう。とっても助かってます。
サポートしてもらうこと、尊重してもらうこと、つながりを持つこと、こういったことのニーズが満たされます
今日は前からちょっと気になっていたことについてひとこと。
自分が受け持った役割とか仕事が決まっていて、それをみなさんがやってくれているわけですが、そのときけっして「義務」としてやってほしくないんです。
もし義務感を感じたら、その仕事はしなくていいです。
もし自分の仕事ができなかったとき「申し訳ない」「ごめんなさい」という言葉が出てきたとき、自分のなかに義務感が生まれてないかどうかチェックしてください。
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あることを「やらなければならない」という気持ちでやるとき、その奥には義務の気持ちが生まれている。
義務はどこから来ているかというと、「やらねば」「やってあげる」と「やってもらっている」「やってもらいたい」という人間の関係性からやってくる。
この関係を私は現代朗読協会に持ちこみたくない。
もっといえば、すべての人間関係に持ちこみたくない。

自分がこころから楽しく、相手(この場合は現代朗読協会だったが)に貢献したい、やりたいと思えるときだけ、それをやってもらいたい。
自分に現代朗読協会が必要で、そこにつながっていること、活動と運営が継続することが大事であることが見えているときだけ、仕事をしてほしい。
そう思っている。