2014年5月9日金曜日

朝ゼミ、「高句麗ものがたり」音楽、評価を手放すことの理解

昨日の午前中は現代朗読の朝ゼミ。
ゼミ生が基礎トレーニングをしている横で、私は韓氏意拳の自主練習をする。
火・水と集中的に稽古して感じを深められたように思うので、深度をさらに深めるために。
体認朗読の稽古から私も参加。
古参(といっても数年だけど)のゼミ生ばかりだったので、さすがにクオリティの高い声が聞けた。

昼は朝ゼミのメンバーと下北沢まで歩いて、いつもの〈ノース・フィールド〉でランチ。
私は編物を持っていって、すこしチクチク。

午後はこのところずっと作っている、小林さやかちゃんの「高句麗ものがたり」のための音楽のオーケストレーションの作業なう。
つくづく音楽ってのは時間がかかる。
音源を加える、テンポを変える、エフェクターのパラメーターを変える、なにかひとつ手を入れたそのたびごとに、曲をアタマから聴き直すことになるので、一曲仕上げるのに何百回と聴くことになる。
物理的に時間がかかるのはやむをえない。
しかし、ラップトップひとつで壮大な音楽が作れてしまうのは夢のようだともいえる。

夜は夜ゼミ。
てんちゃんが「評価を手放せるようになって、人のを聴くのも、自分が練習するのも、すごく楽になった」というようなことをいっていて、うれしかった。
なかなか「上手/下手」とか「正しい/間違い」といった評価を手放すのは難しいのだが、それを手放して共感的に聴いたり自分につながったりできるようになると、楽になるのはもちろんだが、表現は楽しくそしてクオリティが高まっていく。
これは私の長年にわたる経験則からいえることでもある。
そのことはなかなか人に伝えるのがむずかしいのだが、理解者が増えてくれるのは、とくにゼミ生に理解してもらえるのはうれしいものだ。

今日も朝から「高句麗ものがたり」の仕上げ作業。
なんとか今日中に終わらせたいな。