2014年7月31日木曜日

下北沢ランチ、共感的コミュニケーション勉強会二コマ

今日は暑かった。
エアコンのない羽根木の家は、猛暑のピーク時はかなりこたえる。
が、今年はなぜか、おなじような暑さでもあまりまいらないような気がする。
その原因がひとつかんがえられるとしたら、去年の夏より体重を10キロ近く落としたことにあるような気がする。

2011年の震災以降、どんどん体重が増えつづけて、一時は人生最大のピーク体重を記録したのだが、去年の春ごろ、ちょうど韓氏意拳を始めたころに体重を絞りはじめた。
一年たらずでほぼ10キロ絞ることに成功した。
おこなったのはおもに糖質制限だ。
完全カットではなく、まあゆるやかに糖質を制限し、また食事ももともとそうだったのだが一日2回、ときには1回のときもある。
食事を制限することでとくに支障はなく、病気もほとんどない、というよりむしろ風邪をひかなくなったような気がする。

驚くのは、故障した右膝の状態だ。
完全に曲げることができず、正座はもちろん、座敷に座るのも苦痛だったのだが、先日ふと思い立って膝を曲げてみたら、ほとんど正座ができるのではないかというほど鋭角に曲げられるようになっていた。
これは韓氏意拳のおかげかもしれない。
とにかく、体調がいいのだ。

そんななか、熱中症でやられてようやく回復した卯妙さんの娘を連れて、下北沢まで涼みがてらランチに行ってきた。
ヘルシーで消化にいいものを食べたいというので、〈かまいキッチン〉に行った。
ここはいつも、赤ちゃん連れのお母さんがたが何人も来ていて、とてもなごむ。

羽根木の家にもどり、15時からは共感的コミュニケーションの勉強会。
ゼミ生のまりながお母さんの実雪さんを連れて来てくれた。
美雪さんは草加で〈Jugem〉というハンドメイドのストーン・アクセサリーの店をやっておられて、そこで共感カフェをやりたいという打診があったのだ。
ほかにも、ママカフェのメンバーのおばまさんらも参加してくれた。

〈Jugem〉では8月11日(月)の午後、共感カフェを開催することになった。
どんな方が来てくれるのか、とても楽しみだ。

19時からは勉強会の夜の部。
来たいといっていたゼミ生がふたり、仕事が長引いて来れなくなって残念。
先日ボイスセラピスト講習を受けたばかりのゆきさんや、トランジション仲間の大輔さん、ひさしぶりのクックさんらが参加してくれた。
昼も夜も、それぞれの方のニーズに沿った勉強会になり、私もとても深く自分の表現、貢献、能力発揮のニーズに入ることができた。
皆さんには感謝。

※8月5日(火)夜、横浜の神奈川県民センターにて、共感的コミュニケーションをまなんでいる仲間が主催する共感カフェを開催します。どなたも参加できます。詳細はこちら

ニラ玉、中野ZERO、トリコカレー、韓氏意拳の稽古

昨日の昼は、やたらと玉子がたくさんあったので、ひとり分4個の玉子を使ってニラ玉を作る。
ほかに人参とネギとワカメのみそ汁、ズッキーニとピーマンの揚げびたし、玄米ご飯など。
ちょっと塩気がつよかったが、暑い日がつづくので塩分補給にいいか。

夕方はやめに出て、中野へ。
中野ZEROで開催される東京創造芸術祭に現代朗読協会も参加することになっている、その下見。
げろきょの出番はオーブニングである8月17日(日)の午後3時から。
演目は「沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき」で、メイン朗読は野々宮卯妙、群読が高崎梓、川崎満里菜、晩衛の3人。
演奏はマルチリード奏者の森順治さんをお迎えし、私もキーボードで参加。
東京創造芸術祭の案内サイトはこちら

会場であるギャラリースペースは意外に広くて、しかしだいたいイメージしていたとおりの空間だったので、演出案に大きな変更はなし。
それにしても暑く、中野駅から8分くらいかかったのはちょっとしんどかった。

つぎは中野駅をはさんで反対側、高円寺駅とのほぼ中間にある〈トリコカレー〉までまたえっちらおっちら歩いて移動。
カツカレーを食べる。
新代田の〈ピピカレー〉時代と同様にサラダがついていて、さらに新代田時代からのよしみか、トッピングとコーヒーをサービスしてくれた。
昨日は前回の教訓を生かしてライスを小盛りにしてもらったので、はちきれそうな腹にならずにすんだ。
というのも、つぎの予定は韓氏意拳の稽古だったからだ。

〈トリコカレー〉から明治大学の構内を抜け、警察病院と野方警察署のあいだを抜けて、新井薬師のほうへ北上。
15分ほど歩いて、新井区民活動センターにたどりついた。
いま見たら、昨日の歩数は軽く1万歩を超えていた。

19時から内田先生の韓氏意拳講習。
昨日は会員限定のクラスだったようで、技撃椿と歩法を丁寧にやった。
時々先生は、「状態の深まり」の発揮として速い動きを見せてくれることがあるのだが、ほかの参加者が先生から指導を受けているあいだに私も真似をしてちょっとそういう動きを試してみたら、やんわりとたしなめられた。
ようするに「拳」の表現をきちんと状態ができていないときにやろうとすると、身がほどけてしまったり、状態が切れてしまったり、つまり結果的に自分を発揮できないということになってしまうので、やらないほうがいいということだ。
稽古が進んでくると、拳っぽい動きが増えてきて、ときにテクニカルなものと混ざりやすくなってしまって、それは避けたいということで、そのことについては私もあらためて確認し、自分自身をいましめることにした。

※8月2日(土)18:00-20:00に現代朗読体験講座を開催します。詳細と申し込みはこちら

※8月16日(土)、内田秀樹準教練による韓氏意拳の体験&初級講習会@現代朗読協会「羽根木の家」を開催します。詳細と申し込みはこちら

2014年7月30日水曜日

共感的コミュニケーションのイベント、何回やったかな?

明日は毎月数回開催している羽根木の家での共感的コミュニケーションの勉強会の日だ。
明日は午後3時からと夜7時からの2回、それぞれ2時間ずつ開催する予定。
ところで、これまで何回くらい、このような勉強会やセミナーをおこなってきたんだろう。
ふと気になって、ざっと数えてみた。

といっても、全部洗いだして数えるのは無理なので、概算してみる。
羽根木の家での共感的コミュニケーションの勉強会が、最低でも月に2回。
共感カフェと称する、私が出かけていって開催する小規模の勉強会またはワークショップが、これも月に2回から3回。
明後日も名古屋まで出かけておこなうが、企業や団体から招聘されておこなうセミナーやワークショップが、ならせば月に1回くらいあるだろうか。
ほかに、ボイスセラピスト講座でも共感的コミュニケーションの勉強の時間をかならずたっぷり取っているので、これが月に1回、1級講座や合宿もいれると年に15回は確実にやっていることになる。
また高齢者福祉施設や地域の介護予防教室、講座、地域の文化サロンのようなコミュニティに呼ばれて行くこともある。

これらの活動を開始したのは2011年の夏から秋にかけてだから、ざっと計算してこれまでに200回以上開催していることになる。
いや、べつに数を自慢しているわけではないのだが、それなりの経験は積んできているのだなという確認があると、自分自身の活動の継続性への自信になるし、私自身もさらに学習を深めていきたいという意欲もわく。

これらの現場での実践的な経験にくわえ、学習を深めるのにもっとも役に立ったのは、『共感的コミュニケーション』の〔入門編〕と〔応用編〕という2冊の本の執筆だったように思う。
なにごとかについて書くという行為は、おこなったことがある人ならだれもが同意してくれると思うが、自分のかんがえをまとめたり、深めたり、あるいは足りない部分を発見したりすることに大変役に立つ。
この点について、私はだれよりも、とまではいわないが、自分なりに理解を深めるプロセスをたどってこれたのではないかと思っている。

まれに私の言動や書くものがお気に召さず、食ってかかる人も出てくるが、それもその方のなんらかの価値観に触れて怒りやいらだち、もどかしさをおぼえられた結果なのだろうと思うと、ただその方に共感するのみだ。
その方が大切にしてのはどんなことなのか、できれば直接対話して教えていただければと思う。

そして明日は、二百何回めかわからないが、勉強会を開催する。
明日は初めての方も何人か来られることになっている。
来られる方がどのようなニーズをお持ちなのか、またどのようなことで私がお役に立てるのか、いつものように楽しみにしているのである。

※羽根木の家での共感的コミュニケーション勉強会は、明日7月31日(木)昼の部15時からと夜の部19時から開催します。それぞれ2時間枠です。
 詳細と申し込みはこちら

私にプロデューサーが必要な理由

だれしも自分を表現したいという欲求を多かれ少なかれ抱えているものだが、その手段にはさまざまある。
私の場合はこうやってテキストを書いてそれをブログに載せたり、本にして出版したり、というテキスト表現の欲求もあれば、ひと前でピアノを弾いて聴いてもらいたい、という演奏の欲求もある。
また、自分の経験や知識を人につたえたいという欲求もある。

私のように、自分自身がなにかおこなうことで自分の表現欲求を満たそうという者は多いが、なかには自分自身が直接的に表現するのではなく、だれかが表現する場を作りその場を成立させることで、間接的に自分の表現欲求を満たそうという者もいる。
それがたとえばプロデューサーという仕事だ。

例をあげれば、スタジオジブリという映画会社があって、そこでは宮崎駿や高畑勲といった映画監督が仕事をしている。
それをささえている鈴木敏夫というプロデューサーがいることは、NHKなどにも何度も取りあげられ、知っている人も多いだろう。
鈴木敏夫は自分自身は直接なにかを表現せず、宮崎や高畑に理想的な仕事環境を用意し、アイディアを練ることを手伝い、雑音をシャットアウトして世間から守り、同時に完成した映画を世に売りだしていくという、複雑かつ骨の折れる重要な仕事をしている。
いくら宮崎や高畑が天才的ですばらしい作品を作れる人間だとしても、鈴木敏夫がいなければ現在のスタジオジブリの隆盛はありえなかっただろう。

成功をおさめている表現者は、その表現が社会にみとめられ、受け入れられるための過程・階段をのぼるプロセスを経ている。
たまたまいきなり作品がヒットする人もいるだろうし、仕掛けられたプロセスのなかで成功をおさめるべくしておさめる人もいる。
自分で自分の表現作品を売りこむことが上手な人もいれば、まったく寡黙で自分を売りこむことが苦手な人もいる。

私は自分自身を饒舌に表現できる人間だと思っていたし、いまでもまだすこし、こうやって文章を書きながら思っているのだが、人からいわせるとどうもそうではないらしい。
表現することはするが、自分を売りこむことはものすごく下手だというのだ。
たしかにそういわれるとそうかもしれないと思う。

これすごいでしょ? いいでしょ?
こんなおもしろいもの作ったんで、買ってくれませんか?
みんなに知ってもらいたいのであの人に紹介してくれない?

そういうことがうまくいえない。
表現はできるけれど、自分のことの説明はうまくできない。
自分の本質は自分ではわからない。
他人の作品とか表現だったらいくらでも説明できる。
音楽仲間やげろきょの朗読者のすごさ、おもしろさは、いくらでもアピールできるし、売り込める。
しかし、自分のこととなると腰が引けて口がこわばってしまう。
そもそも、客観的に見て自分のなにがよいのか、おもしろいのか、うまく把握できないのだ。
だから、魅力を客観的にとらえて、それがどうやったら効果的に伝わるのかかんがえたり、アドバイスしてくれる人間が必要なのだ。

しばらく前に現代朗読の仲間にくわわってくれた山浦くんという人がいる。
この人は「自分は自分がやるよりも人にやらせたり、そういう場を準備したり、人と人をつないだりするのが自分の表現だと思っている」とはっきりといっている。
まさにプロデューサーなのである。
それをきいて私はとてもうれしくなったと同時に、非常にほっとした。
安堵したといってもいい。
これで自分の説明を自分でする必要がなくなる、この人に任せればいいと思ったのだ。

山浦くんがプロデューサーとしての仕事の腕を発揮できるように、私は全面的に協力するだろう。
自分を売りこむのは苦手だが、「こうしてください」と指示されればなんでもやれる。
それはまた山浦くんのニーズに貢献することでもあり、おたがいに尊重しあって貢献のニーズを満たしあう関係があるというのは、本当にわくわくできることだと感じている。

※8月2日(土)18:00-20:00に現代朗読体験講座を開催します。詳細と申し込みはこちら

2014年7月29日火曜日

オーディオブック読み手のオーディション


アイ文庫の話ではなく、外部のオーディオブック制作会社の話。
まとまったボリュームのオーディオブックを収録・製作する体制にはいっていくため、読み手の確保に力をいれているのはアイ文庫だけではない。
他社もオーディションの募集をかけて、読み手を確保している。
オーディションはこれまで何度かおこなわれてきたが、数日後にもまたおこなわれて、私はそれの立ち会いに初めて参加することになった。
数時間で30人以上の候補者のオーディションをおこなう予定なので、かなりのハードワークと思われる。

それにしても、オーディションと銘打つと30人という読み手がすぐに集まるのがすごい。
これまでにおこなった数回を合わせると100人単位の読み手がオーディオブックの読み手になるためのオーディションを受けに来たことになる。
立ち会いは今回が初めてだが、これまでのオーディションで収録した音声を聴かせてもらっている。
今回もおそらくそうだろうが、30人くらい聴いて、そのなかにひとりかふたり、使える読み手がいるかどうか、というところだろうか。
可能性ということでいえばほぼ全員にチャンスはあるのだが、育成には時間がかかる。

この人たちはほとんど全員が声優学校、ナレーターやアナウンサーの養成学校、タレント事務所の養成所といったところの出身者で、基本的なテキスト読みの技術は身につけているはずだが、いかんせん「オーディオブック」というコンテンツに特化した訓練は受けていない。
前に書いたように、オーディオブックを収録するためにはいくつかの要件を満たしている必要があり、それらを厳密に詰めて訓練している人はほとんどいないといっていい。
しかし、この人たちはすでに基本的技術を身につけているので、要件をただしく理解できて適切な訓練をおこなえば、すぐに優秀な読み手になれるはずだ。

もったいないなあ。
長年、勉強と訓練をつづけてきた人たち、せっかく身につけてきたものを表現活動で生かしていってもらいたい。
そのために私にすこしお手伝いできることがあると思っている。
数日後のオーディションの場でも、ただたんに読んでもらって評価するだけでなく、いくらかコミュニケーションを取って何人かとでもそういう話ができればいいと望んでいる。

※オーディオブック収録製作コースは8月1日(金)夜からのスタートです。詳細と申し込みはこちら

※アイ文庫のオーディオブック・リーダー養成講座は個人セッションを受け付けています。詳細と申し込みはこちら

2014年7月28日月曜日

オーディオブックの読み手(リーダー)の要件とは?

現代朗読ではその表現行為においても「共感」を重視し、表現者は「上手い/下手」といった評価にさらされることなく、安心して自分の内側から立ちあらわれるものを自由に表現する。
その結果として、オリジナリティの高い、ユニークな読み手が多く誕生していく。
ライブ表現のみならず、スタジオワークであるオーディオブックの収録においても、すばらしい作品を残せる者が何人も育っている。

ただし、オーディオブックには「商業コンテンツ」という側面もあり、まったく自由に表現してもいいというわけではない。
録音され、何度も聞き返され、対価を支払われてリスナーのいわば所有作品となるわけだ。
必要なことがいくつかある。
そこの部分については、「表現」とは切りはなされて「評価」の対象となる。

オーディオブック・リーダーと充分に共感的関係にあり、双方に信頼があるという関係性が成立しているという条件のもと、収録コンテンツとしての「評価」がおこなわれる。
つまり、これだけのことをクリアしていないと収録はできませんよ、という評価ラインがあるということだ。

では、どのような点に関して評価があるのか、紹介してみる。

 (1) ノイズ
 (2) 滑舌
 (3) アクセント
 (4) その他日本語発音規則
 (5) 耐久力
 (6) 表現力

(1)から(5)については、評価を明確に数値化することができる。
私がもちいているのは、現在「1」から「5」までの5段階評価で、製品としてのオーディオブックの収録のためには最低「3」評価以上をすべてクリアしている必要がある。
というと大変なことのように思うかもしれないが、これらはすべて「技術」にかんすることであり、どんな人でも(たとえそれがズブの素人であっても)適切な指導と持続的な訓練があればクリアすることができる。
アイ文庫および現代朗読協会では、この点にかんしてのノウハウをどこよりも明確に、かつ綿密におこなうための蓄積がある。
しかも短期間に。
声優学校や養成所は多大な年月(と費用)をかけて訓練をおこなうが、アイ文庫ではそんなに時間をかけていられないし(すぐに即戦力がほしいから)、読み手をめざす人のお金も節約してもらいたいから、数か月ですべてを身につけてもらうプログラムを実施している。
もっとも、私のところに来て、ただいうことを聞いてそのときだけ練習しても、評価があがることはない。
自分で毎日トレーニングし、努力をおこたらないことが要件となる。
そのためのノウハウはすべて、一切もったいつけずに提供する。

さて、問題は(6)だ。
これについてはこれまでさんざん書いてきたことではあるが、オーディオブックにおいて表現力の問題をどうかんがえているかについてはきちんと書き残していないような気がするので、項をあらためて書くことにする。

※オーディオブック収録製作コースは8月1日(金)夜からのスタートです。詳細と申し込みはこちら

※アイ文庫のオーディオブック・リーダー養成講座は個人セッションを受け付けています。詳細と申し込みはこちら

オーディオブックの読み手を急ぎ育てたい理由

声優、ナレーター、アナウンサー、司会……
声の仕事にはいろいろあって、そういうものにあこがれて「なりたい」という人も多いし、そのための学校や養成所も多い。
しかし、オーディブックの読み手(リーダー)となると、なりたい人はたくさんいるのだろうが、それを育てる場所はそう多くない。

アイ文庫や現代朗読協会は学校ではないし、養成所でもないが、オーディオブックの読み手を育成することに熱心に取りくんできたし、いまも取りくんでいる。
アイ文庫では「あいぶんこオーディオブック」という非常にクオリティの高いオーディオブックの収録・製作をおこなってきており、読み手の育成には現代朗読協会が全面的に協力している。

さて。
日本におけるオーディオブックマーケットは健全な成長をとげているとはとてもいえず、そのあたりの事情については拙著『オーディオブックの真実』に詳しく書いてある。
ところがここに来て、かなり大きな動きがある。
詳しくは書けないが、ある大手資本が動き、オーディオブックコンテンツの拡充に本格的に乗りだすことになった。
アイ文庫と業務提携しているオーディオブック専門のことのは出版が製作受注をおこない、何社かに手分けして実際の収録がおこなわれることになった。
そのひとつにアイ文庫がかかわることになった。

かなりのまとまった分量のコンテンツを、今後定期的に収録していくことが決まっている。
いまいるオーディオブックの読み手だけではとうていさばききれない量である。
しかもアイ文庫ではその「質」を絶対に落としたくない。
そこそこきれいに正しくテキストが読める、という程度の読み手ではアイ文庫クオリティをクリアできないのだ。

アイ文庫では読み手の育成を現代朗読協会に委託している。
それを受けて、現代朗読協会では、まず、「オーディオブック収録製作コース」という全10回の講座を用意している。
これは「現代朗読基礎コース」を受講した者を対象としているが、前記のような事情で悠長なことはいっていられない、ふたつのコースの同時受講でも「可」とすることにした。
われこそは、と思わん者はいますぐ来られよ。

ほかに、私との個人セッションもある。
こちらはひとりひとり個別に対応する。
いずれにしても、興味のある方はまずはお問い合わせください。

※オーディオブック収録製作コースは8月1日(金)夜からのスタートです。詳細と申し込みはこちら

※アイ文庫のオーディオブック・リーダー養成講座は個人セッションを受け付けています。詳細と申し込みはこちら

ダンス公演まさおか式「おどり良ければ全てよし」を観てきた

2014年7月27日。
横浜のSTスポットまで、政岡由衣子と佐々木崇仁のダンスカンパニー(だよね?)「まさおか式」の旗揚げ公演「おどり良ければ全てよし」を観に行ってきた。

猛暑。渋谷から東横線を乗り継いで、横浜駅まで行く。
日曜日のせいか、横浜駅は観光客やら買い物客やらなにやらららら、で、人がわんさか、かいくぐってなんとかSTスポットにたどりつく。
会場はそっけない真四角な空間で、なにもないダンススペースが真っ白に作ってあり、片方にひな壇を作って客を詰めこむ形。
こちら側に詰めこまれた客たちは、あちら側で起こるできごとを目撃する。

踊り手は3人。
政岡さんは振り付けのみで、出演はしない。
当人は会場入口に張りついていて、来場者にもれなくご挨拶していた。

会場が暗転し、照明がつくと、3名の踊り手が登場していて、まずは無言でダンスがはじまった。
コンテンポラリーだ。
なんでもあり、というのがコンテンポラリーだと思うのだが、コンテンポラリーダンスにはなぜかコンテンポラリーダンスっぽい感じ、というのがあって、これも馴染みのある感触ではじまった。
そのことに軽く失望をおぼえていたのだが、観ているうちに、ところどころ「まさおか式」であろうかオリジナルな感触が立ちあらわれては消え、おっと思う。
「まさおか式」の感触というのは、私にはなんだかざらっとした、野生を思わせる手触りがあって、ときに凶暴、ときに暴力的、ときに深い悲しみや苦しい感情がかいま見えるものだ。
こちらのなかにあるおなじようなものに、素手で触れてこられるような感触がある。

前半はそんなふうに、馴染みのある感じと、いくらかまじるオリジナリティを、まだ余裕をもって観賞していられたのだが、ちょうどまんなかあたり、3人が小刻みに揺れてシンクロし、垂直震動のなかからときおり鋭い(あるいはスローな)動きを見せはじめたあたりから、大きな渦巻く力のようなものを感じはじめた。
そこからラストまで一気に流れるシーケンスが圧倒的だった。
こちらは大きな渦にいやおうなくのみこまれ、どんどん「まさおか式」の中心部へと引きこまれていってしまう。
これでもかとダンサーの肉体を酷使し、前半にかいま見えた凶暴なものやさまざまな感情が露出されていく。

ダンサーたちもすばらしい踊り手だった。
女性ふたり、男性ひとり、それぞれ個性があって雰囲気はちがうのだが、いずれも非常に鍛えあげられていて、身体精度が緻密だ。
見応えがある。

前半がなんとなく助走的にゆるく、後半にむかって駆け抜けるような構成になっていたのは、作っていったらそのようになったのか、あるいは最初から意図的にそのように作ったのか、政岡さんに直接聞いてみたくなった。
そしてもうひとつ聞いてみたいのは、音楽のあつかいだ。
これは私がどんな舞台でもいつもしつこくいっていて、人によっては「またか」と眉をしかめるのかもしれないが、生身の人間がそこに存在し表現しているのに、音が「仕込み」というのはどんなもんだろう、という違和感が常にある。
いっそ、「なし」でもいいのではないか。
あるいは音も「生」にできないのか。
ダンサーたちが立てる音、呼吸、声、そういったものは充分に「生」の「音楽」としてそこに存在しているように思うのだが、そこに「仕込み」の音がかぶさってくることに、私はどうしても違和感をおぼえてしまうのだ。
そのあたりについての「まさおか式」のかんがえを知りたいと思った。

いずれにしても、濃密な60分間、大変楽しませてもらった。
そして刺激を受けた。
私のやっている表現にもなにか突きささってくるようなものがあり、いいものを見せてもらったことに感謝したい。
当然のことながら、次回公演も大変楽しみなのだ。

2014年7月27日日曜日

あいぶんこ朗読ポッド Vol.83


2014年7月23日、横浜・白楽のライブハウス〈ビッチェズ・ブリュー〉でおこなわれた山田みぞれ(朗読)と水城ゆう(ピアノ)のライブからお送りします。
水城ゆう作『子どものころの七つの話』より「夏の話」と、宮沢賢治「ありときのこ」のふたつを、つづけてお送りします。

この日をきっかけに〈ビッチェズ・ブリュー〉では毎月一回、朗読と演奏のライブをおこなうことになりました。
次回は8月9日(土)夜です。
詳細はこちら

視聴はこちら(下の画像をクリック↓)
※現代朗読体験講座は8月2日(土)10:30-12:30の開催です。詳細と申し込みはこちら
※現代朗読ゼミへの8月の体験参加可能な日時など詳細はこちら

2014年7月26日土曜日

独立美容師、水虫その後、カナダ帰り、酷暑ゼミ


この一年くらい、なんとなく髪を長めにしていたのだが、このところの暑さと、もともとの髪の多さ・太さで洗うたびにぼさぼさごわごわになるのがうっとおしくて、ついに元のようにバッサリと短髪にしてもらうことにした。
さいわい、トランジション世田谷・茶沢会の仲間で独立美容師の和食ちゃんのスケジュールがうまく合ったので、一昨日の午前中に三軒茶屋まで行って切ってもらった。
あー、さっぱり!

そのあと、いっしょに〈ジャム・カフェ〉という店で昼食。
そのあとバスで下北沢に移動し、今度は〈Stay Happy〉でお茶。

和食ちゃんと別れて東松原にもどり、皮膚科に行って治療中の水虫を診てもらう。
まじめに薬を塗っていたので、順調に治癒してるらしい。
あらたに薬を出してもらって、帰ってくる。

その夜はすんごい雷雨になって、都内では被害が出たところもあるらしい。
羽根木の家の周辺にもドカスカ、至近距離に雷が落ちて胆を冷やしたが、停電になることもなく、そのあとは涼しくなって快適。

昨日はカナダのNVCのカヌークエストから帰ってくるはるのさんとうたさんを、羽田空港国際線ターミナルまで迎えに行く。
とっても充実したツアーで、ふたりとも堪能したようだが、蚊とブヨに刺されて見た目はとってもかわいそうなことになっている。
ともあれ、無事の帰還、おめでとう。
この経験は、子どもたち相手のNVCワークに生かされることだろうと期待したい。

ところで、昨日の朝、シャワーを浴びたあと、どうやらいつも傷める癖がある外腹斜筋を傷めてしまったらしく、身体をひねるたびにかなりの痛みが走る。
こういうときは、かえって自分の身体の使い方が注意深くなって、気づくことが多いのだが、しかし傷めるのはかんばしくない。
はやめの回復をはかりたい。

今日は朝から現代朗読の朝ゼミと、午後は昼ゼミ。
朝から猛暑で、とくに午後はきつかった。
エアコンのない羽根木の家は、扇風機を2台回しているのだが、気温は35度を超えているといっていたから、とにかく暑い。
熱中症に気をつけて、水分補給をしながら、ゆるゆるとゼミを進める。

通常ゼミのほかに、8月17日に中野ZEROでおこなう東京創造芸術祭参加パフォーマンスの「沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき」の演出案を出演者に伝え、いくらか試行してみる。
自分なりになんとかめどは立ったが、この後は暑さとの戦いになると思われ。

※現代朗読ゼミに体験参加ができます。朗読や表現に興味がある方、すでにやっているけれど朗読に行き詰まりを感じている方など、どなたも歓迎です。8月の参加可能な日時など詳細はこちら

2014年7月25日金曜日

あいぶんこ朗読ポッド Vol.82

2014年7月23日、横浜・白楽のライブハウス〈ビッチェズ・ブリュー〉でおこなわれた山田みぞれ(朗読)と水城ゆう(ピアノ)のライブからお送りします。
〈ビッチェズ・ブリュー〉のオーナーの杉田さんのリクエストで取りあげたアルチュール・ランボーの詩「首吊り人らの踊り」(中原中也訳)です。

この日をきっかけに〈ビッチェズ・ブリュー〉では毎月一回、朗読と演奏のライブをおこなうことになりました。
次回は8月9日(土)夜です。

視聴はこちら(下の画像をクリック↓)
※現代朗読体験講座は8月2日(土)10:30-12:30の開催です。詳細と申し込みはこちら
※現代朗読ゼミへの8月の体験参加可能な日時など詳細はこちら

(まとめ)あいぶんこ朗読ポッド Vol.76〜80

昨日は「あいぶんこ朗読ポッド」のVol.76を配信しました。
これまで配信したVol.71からVol.75は以下のリンクからご覧ください。
お見逃しの方はこの機会にぜひどうぞ。

 Vol.76 山田みぞれによる水城ゆう作「リサ」の朗読と楽器隊によるセッション
 Vol.77 宮本菜穂子による水城ゆう作「雨の女」の朗読と楽器隊によるセッション
 Vol.78 野々宮卯妙による水城ゆう作「洗濯女」の朗読と楽器隊によるセッション
 Vol.79 野々宮卯妙と宮本菜穂子、山田みぞれによる「Bird Song」の朗読と楽器隊によるセッション
 Vol.80 ゼミ生で大学3年生の川崎満里菜と朗読表現やその活動についてのトーク

Vol.71〜75のまとめはこちら
Vol.1〜70のまとめはこちらのリンクから。


※水城ゆうの新刊書籍『現代朗読考――コンテンポラリーアートとしての朗読』がリリースされました。水城のここ数年にわたる現代朗読に関する考察と実践をまとめた決定版ともいえる本です。

2014年7月24日木曜日

あいぶんこ朗読ポッド Vol.81

現代朗読協会の基礎コース2014年第2期の最終回の模様から、抜粋してお送りします。
とかく現代社会は多くの人にとって「生きづらい」という面があります。
それはなぜか?
生きづらいのは当然のことであり、その解決策のひとつが「表現すること」であるという、朗読表現の可能性のひとつを、現代朗読では提案しています。
そのことについて、主宰の水城が話している映像です。

視聴はこちら(下の画像をクリック↓)
※現代朗読基礎コースは8月2日(土)午後のスタートです。詳細と申し込みはこちら
※現代朗読体験講座は8月2日(土)10:30-12:30の開催です。詳細と申し込みはこちら
※現代朗読ゼミへの8月の体験参加可能な日時など詳細はこちら

横浜・白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉で山田みぞれとライブ

ついさきほど帰ってきたばかりだ。
今夜(もう日は変わって昨夜)は横浜・白楽のライブハウス〈ビッチェズ・ブリュー〉で、現代朗読の山田みぞれとふたりでライブをやってきた。
いやー、楽しかったな。

〈ビッチェズ・ブリュー〉というのはマイルス・デイビスのアルバムのタイトルで、次々と変化・進化しつづけたマイルスの音楽のなかでもとくに物議をかもした一枚。
私は大好きな一枚で、「カインド・オブ・ブルー」とならんでもっとも好きな音楽のひとつかもしれない。

ここでのライブの話はみぞれちゃんが持ってきてくれた。
みぞれちゃんがMASH(いつもお世話になっている森順治さんがメンバーのひとり)のライブでここをおとずれたとき、朗読でちょっと参加したのだが、そのとき、〈ビッチェズ・ブリュー〉(以下BBと略)のオーナーの杉田誠一さんがおもしろがってくれて、みぞれちゃんにライブをやらない? と持ちかけてくれたのだ。
で、今夜やることになり、私もピアノ演奏でいっしょに参加することになった。

日中の暑さが全然おさまらないなか、帰宅ラッシュを避けて東横線に早めに乗り、午後6時ごろに白楽に到着。
この駅は初めて降りた。
駅前からまっすぐのびる六角橋商店街という、けっこう大きな商店街がある。

ここを少し歩きはじめて、私はすぐに奇妙な感覚にとらえられた。
見たことのある感じ、感じたことのある空気。
なんとなく、港町を歩いているような気がする。
しかし、私がおなじように感じていた港町はこんなににぎわっていなかった。
でも、おなじ感覚が私をつつんだ。
感覚神経がギューっと収縮するような気がして(もちろん気のせいだ)、なぜかドキドキする。
なにかある、この街には、と思った。

少し坂を降りると、右手の路地の奥になにか見えた。
おもしろいものがあれば写真を撮ろうと思って踏みこんだら、あきらかに戦後の闇市の名残のアーケード街がそのまま残っていて、メインの通りと並行して通っている。
仲見世通りというらしい。
ライブにお客さんで来てくれる横浜共感カフェの主催者・須美子さんも、すでについてこの通りに来ているというので、会えるかもと思ってぶらぶら歩いていった。

水曜日で休みの店が多く、残念ながら須美子さんにもここでは会えなかったが、独特の雰囲気の街にやられてしまった。
ちょっと住んでみたいと思ったほどだ。

午後7時ちょうど、六角橋商店街の通りをすこしはいったところにある〈ビッチェズ・ブリュー〉に行く。
すでにみぞれちゃんは来ていた。
そして初にお目にかかる杉田さんにご挨拶、歓迎していただいた。

マイクのセッティングをして、ちょっとピアノに触ってみる。
アップライトだが、じつによく鳴るピアノで、弾きやすい。
調律もきちんとされていて、ありがたい。
準備しながら、杉田さんと話をする。

日本のジャズ史を生きてこられた当事者のような方で、一方こちらは電波やレコードを通じてリスナーではあったが、当事者とはほど遠い。
しかも、福井の田舎に住んでいて、東京に出てきたのは最近なので、ミュージシャンたちとのつながりもほとんどない。
つまり無名のピアニストだ。
こういう者が行くと、ときに冷たい目で見られることがあるのだが、杉田さんはその経歴にも関わらず胸襟を開いておもしろい話を次々としてくれる。
そして、ライブの後には、私たちの音を先入観なく気にいってくれて、「毎月やろう」とまでいっていただいた。
こんなにうれしいことはない。

それはともかく、杉田さんには申し訳ないことにお客さんをあまり呼べず、横浜共感カフェ主催の須美子さんと常連参加の中村さん、ゼミ生のてんちゃんが来てくれただけだった。
来てくれてほんとうにありがたかったと同時に、お客さんが少ないことにひとことも触れずいっしょに楽しんでくれた杉田さんには、心から感謝したい。
この空間をなんとしてもいっぱいにしてみたい、と思っている。
きっと楽しく盛り上がり、また予期しない楽しいことがたくさん起こるような気がするのだ。

店のオーディオ機材はすばらしい。
マッキントッシュの真空管モノラルアンプをふたつ並べてステレオに。
それにアルテックのスピーカーをつないでいる。
私の希望で、CDではなく、アナログのレコード盤をかけてもらった。
ジョン・コルトレーンの日本でのライブ演奏。
いや、すごいすごい。
私の身体から当時の新宿厚生年金会館のホールにタイムスリップする。

須美子さん、中村さん、てんちゃんが来て、ライブの準備はこちらは整っていたが、杉田さんの話がおもしろくて始められない(笑)。
とてもここには書けないような音楽業界の裏話が次から次へと飛びだしてきて、抱腹絶倒。
貴重な話もたくさん聞けた。

ところで山田みぞれだが、ちょうど1年ちょっと前くらいだろうか、現代朗読の読み手として十分な実力がそなわりつつあるので、どんどんライブをやるべし、とアドバイスした記憶がある。
それを受けてかどうかは知らないが、いろいろなところへ出かけては音楽やダンスの人たちと積極的につながったり、オープンマイクに出たりしはじめた。
彼女が外のフィールドに出ておもしろがられることは確信していたが、実際にそのようになったことはうれしいかぎりだ。
彼女にかぎらず、現代朗読の読み手には外で通用する表現者が続々と育っている。

ちょっとグダグダした感じにはなったが(笑)、いちおう2ステージやって、終了。
杉田さんは「おもしろいから毎月やろう」といってくれて、さっそく来月の予定が決まった。
来月は8月9日(土)の夜という、絶好のポジションを確保させてもらった。
楽しみだ。

今夜のライブの模様は、一部をYouTubeで配信できる予定。
しばしお待ちを。

2014年7月23日水曜日

へしこ、ガーゼ手ぬぐい、羽根木の家での韓氏意拳

昨日はひさしぶりにへしこを焼いて食べた。
これは鯖のぬか漬けで、かなりしょっぱいのだが、この塩分が夏場には効く。
慣れないとしょっぱさにびっくりしてそのおいしさにたどりつけない人が頻出するのだが、しょっぱさの奥に閉じこめられた旨味を知ってしまうともうやみつきだ。
へしこには鯖のほかに、イワシ、イカ、フグなどもある。

オーディオブックの収録が本格スタートするのにそなえて、いろいろと準備。
かなり大変な仕事になりそうなので、人材も確保しておきたいのだが、なにしろ特殊な業界なので簡単に見つかるものではない。
結局、育てたほうが早い、ということになる。

夜は毎月恒例、韓氏意拳の体験講習会を羽根木の家で開催。
今回も女性が多かった。
男性はひとり。
韓氏意拳は殴ったり蹴ったりという「組手」はなく、基本的にひとり稽古なので、女性や年輩の方にも取っ付きやすい。
そして、自分の身体とおこないを緻密に見ていく、身体の声に耳をすましていく、という繊細さと深さがあるので、知的好奇心も刺激される。
つまり、そういう人がやってくる。

そもそも、韓氏意拳は、私が会員となった「韓氏意拳学会」が中心になっている。
「学会」なので、そこには「教学」があり、また学会員はいわば研究員であって、自分自身の身体性や運動をみずから知り、学ぶことが求められる。

指導者がいる講習会では「手把手《ショーバショー》」という、指導者がこちらの手を取ったり、あるいは指導者の手を持たせたりする指導がおこなわれる。
独特の指導法だが、これによって学習者は自分のおこないを試し、気づき、自分の身体の声を深く聴く手助けをしてもらえる。

私はもう一年以上やっていて、自主稽古も毎日のように欠かさないが、それでもまだまだ自分のことがわからず(たぶん一生わからないのかもしれないが)、好奇心が高まるばかりだ。
そして毎回、講習会ではいくつもの気づきが生まれる。

昨夜は初めての方が多かったので、終わってからみなさん、疲労困憊していた。
私にもおぼえがある。
最初のころは自分の身体への類のない集中をおこなうので、稽古が終わると立てないくらい疲れはててしまうのだ。
いまはさすがにそんなことはない。
というより、いまは終わったあとのほうがむしろ元気になっているくらいだ(身体は疲れているけれど)。

昨夜の講師の内田秀樹先生は、家業が呉服屋さんで、店で売っているガーゼ手ぬぐいがとても使いやすく、しかもかわいいので、愛用している。
昨日も3本、わざわざお持ちいただいた(ありがとうございます)。
夏はとくに愛用しそうだ。

来月8月の韓氏意拳羽根木講習会は、16日(日)の開催。
午前中に1時間半のショートクラス。
午後はレギューラークラスと、会員向けのショートクラス、計3コマの予定。

さて、今夜は元気いっぱいのまま、横浜・白楽の〈ビッチェズ・ブリュー〉まで山田みぞれちゃんとのライブに出かけてくる。
小さな店なのでお客さんとの距離はとても近いのだろう。
みなさん、聴きに来てね。
詳細はこちら

2014年7月21日月曜日

韓氏意拳導師講習会、フォーマル・コンセンサス

昨日の午後、茗荷谷の文京区スポーツセンターまで、韓氏意拳の導師講習会に参加するために行ってきた。
午後2時からスタートして午後5時までみっちり3時間、光岡導師に教わってきた。

站椿の抱式からはじめて、技撃椿へ。
一環して体声を聞くこと、体認することについて集中することを試みる。
動く、動ける「きざし」を待ち、聞き、そして動いてみる、それが私たちにさまざまなことを教えてくれることについての確認を、緻密に、濃密に練習した3時間だった。
さすがに疲れた。
しかし、濃密な集中による疲れで、まったくいやな感じはしない。

羽根木にもどったら、すでに講師や参加者が来ていて、すぐにフォーマル・コンセンサスという合意形成の手法についてのシェア会がはじまった。
この手法は私ははじめて知ったのだが、なかなか興味深くすぐれたもので、組織運営にたずさわる者はぜひともこれを身につけたいと思わせるものだった。
組織の意思決定には、たいてい、多数決といった非民主的で暴力的なものが使われてしまうものだが、それを嫌って全員の意見を民主的に取りいれようとすると、今度は膨大な時間と手間がかかってしまい、結局最終決定にいたらない、ということが起こる。
しかし、このフォーマル・コンセンサスを用いると、全員が意思決定にかかわり、合意し、なおかつ時間という有限なリソースを効率的に使ってすばやく最終決定にいたることができる。

ドキュメントはまだ英語のものしかないが、読みこんでプロセスをしっかりと身につけてみたいという気になった。
私の場合、現代朗読協会、音読療法協会などの組織運営にかかわっているし、またトランジション世田谷茶沢会の人たちや、共感的コミュニケーションの勉強に来ている運動体の人たちにもこれを紹介してみたたくなった。

今日は2級ボイスセラピスト講座だった

昨夜は寝るのが遅かったけれど(遅かったから?)、夜明け前くらいに左足のふくらはぎが痛烈につって目がさめる。
昨日は韓氏意拳の導師講習会に行き、夜はフォーマル・コンセンサスのシェア会に参加したので、身体が疲れていてなおかつ就寝が遅くなるというパターンだった。
しばらく痙攣がおさまらず、完全に目がさめてしまった。

午前8時すぎに、トランジション世田谷茶沢会のメンバーのカトシュンさんが、ひとり、コミュニティガーデンの作業に来られる。
支柱を立て増したが、大量の蚊に襲来されて大変そうだった。
9時に和食ちゃんが来た。
独立美容師の彼女に、髪を切ってもらう予約をいれる。

10時から2級ボイスセラピスト講座。
音読療法はオーガナイズしてまだ4年足らずの若い組織なので、さまざまな方面にアンテナを張って知見とスキルの更新をはかっている。
おなじ2級講座でも、毎回なにかしらあたらしい知見を伝えている。
だから、一度資格を取得した人も何度も再受講してもらいたくて、再受講はすべて無償にしている。
が、再受講に来てくれる人はなかなかいなくて、みなさんのニーズにつながることの大変さを感じている。

それはともかく、今日は最初から集中して飛ばしぎみだった。
受け取ってくれる人の熱意が感じられると、こちらもつい熱がはいってしまう。
きっと受講者も大変だったろうと思うが、私も疲れた。
しかし、充実感があって、貢献と伝えること、育てることのニーズが満たされた。
とくに午後の共感的コミュニケーションの勉強は、いつもそうだが、予期しないことが起こって、私も興味深かった。

ボイスセラピーのあたらしい仲間が生まれてうれしい。
これはコミュニティのニーズかな?

来月8月の2級ボイスセラピスト講座は8月18日(月)を予定している。
また9月には2級と1級を一気に取得できる合宿も予定している。
興味のある方は音読療法協会まで気軽にお問い合わせください。

※音読療法の教科書である『音読療法の基礎』(著・音読療法協会/監修・水城ゆう/出版・アイ文庫)はこちら

2014年7月20日日曜日

北陸→東京、下北沢〈Stay Happy〉共感カフェ

先週は日曜日から水曜日まで北陸の実家に帰省していた。
北陸も梅雨だが、雨が降っていない早朝、夜明け前は、独特の空気のにおいがして、こころが波打つ。
畑では夏野菜が次々とできている。
写真を撮っていたら、まったく身におぼえのない切り傷が腕にできていて、けっこうな流血。
原因がわからなかったのだが、東京にもどってから、その場所に大きなほくろがあったことを思いだした。
きっとそれを引っかけるかなにかして、めくってしまったのだろう。

サザエのつぼ焼き、へしこ、蕎麦などを堪能する。
蕎麦は大根おろしの絞り汁に醤油を割りいれただけのつゆでいただく。
いろいろ試したが、これに落ち着いた。

水曜日に東京に戻り、夜は下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉で共感カフェを開催。
私がマインドフルネスについて知り、実践するようになり、自分の生活はもちろん、現代朗読や音楽演奏などの表現活動にも大きな影響をあたえるきっかけになったのはティク・ナット・ハンの本だが、その翻訳者である島田啓介さんが、なんと共感的コミュニケーションに関心をお持ちとのことで、わざわざご参加いただいた。
初めてお会いしたのだが、前からお名前を存じあげていたし、共通の友人から話もうかがっていたので、お会いできてうれしい。
そして、共感カフェもとても熱心に参加され、興味をさらに持っていただいたようで、うれしかった。

また、秋にコミュニケーションをテーマにした連続イベントを開催する江古田のカフェ〈中庭の空〉をやっている五十嵐さんが参加してくれた。
私もここで共感的コミュニケーションのワークショップと、トークに参加することになっている。

◎明日7月21日(月/休)は羽根木の家で2級ボイスセラピスト講座です。ボイスセラピーは共感的コミュニケーションも重要な柱のひとつになっています。
 詳細はこちら

◎7月の羽根木の家での共感的コミュニケーション勉強会は、7月31日(木)昼の部15時からと夜の部19時から開催します。
 詳細はこちら

朗読ゼミ、ワンコインランチ、水虫

7月17日、木曜日。
朝ゼミと夜ゼミ。
朝ゼミはひさしぶりに矢澤ちゃんが参加。
オーディオブックの制作や収録の話をする。
夜ゼミではみぞれちゃんとライブの打ち合わせもする。
みぞれちゃんとのライブは23日(水)の夜、横浜・白楽の〈ビッチェズ・ブリュー〉というライブハウスでやることになっている。
みなさん、来てね~。
詳細はこちら

午後、右足の指のあいだがカサカサして、皮がむけたりしているのが気になったので、近所の皮膚科へ行く。
案の定、水虫だった。
プールかスパでもらってしまったのだろう。
薬をもらってくる。

一昨日の金曜日はひさしぶりにゼミ生向けにワンコインランチを提供した。
といっても、参加者は2名だったので、3人分。
料理のようすをビデオに撮って、簡単に編集してみた。
こちら
こういうの、ちょっとおもしろい。

昼食後は昼ゼミ。
思いがけず、ひさしぶりに照井数男が顔を出してくれた。
フジサワさんもめずらしく昼ゼミにやってくる。
フジサワさんは夏休みに小学校の子どもたち相手に毎年やっている音読のワークショップをやるというので、みんなで実際にやってみて、あたらしいエチュードのアイディアを出す。

昼ゼミ後、寿実さんとてんちゃんのふたりはともにオーディオブックの収録をめざしているので、ボイスサンプルを簡易録音でとってみた。

夜はオーディオブックゼミ。
基礎訓練でお経朗読をおこなったが、そのとき、読みのリズムにピアノを完全にシンクロさせて演奏してみた。
なかなかおもしろい。
これを東京創造芸術祭の舞台に載せてみようかな、とも思う。

ゼミ体験参加の方、おいしいコーヒー、東京創造芸術祭、調停のプロセスの復習会

ゼミ生のまりなのお母さん(手作りアクセサリーの店をされている)が共感カフェを主催してくれるらしい。
うれしい。
お店まで打ち合わせに行くことになった。

というような話を、昨日は朝ゼミでした。
朝ゼミには体験参加の方がおひとり。
私よりすこし年輩の男性で、べつのグループでもうながく朗読を勉強しているとのこと。
そして韓氏意拳も最近はじめられていて、韓氏意拳の講習会のお知らせに「現代朗読協会」という名前があって、なんだこれはと思って来られたそうだ。
興味を持っていただいてありがたい。
朗読や表現についてのかなり本質的な話をさせていただき、意見も聞かせてもらった。

近くのパン屋でパンを買ってきて、コーヒーをいれてあずさ、まりなと昼食。
最近、ゼミや講座で1杯100円のコーヒーサービスをしているのだが、お金がたまったので、コーヒー豆のグレードをあげてみた。
これまではカルディのリッチブレンドを使っていて、これはこれで焙煎のあたらしい、そしてひきたてのものをハンドドリップでいれていたのでそこそこおいしかったのだが、今回は名古屋の加藤コーヒーからホヌコペというブランドの深煎り豆を取りよせてみた。
おいしい。

午後、昼ゼミ。
8月17日に中野ZEROでやる「沈黙の朗読――記憶が光速を超えるとき」の上演内容のアイディア出しをして、いくつか試してみる。
シナリオを作らねば。
東京創造芸術祭というものへの参加作品だ。

夜はNVCのコアメンバーが羽根木の家に集まって、先週おこなったジョン・キニョンの「調停」のワークショップの復習会。
プロセスをじっくり確認できて、気づきの多い時間となった。ありがたい。
終了後は飲食を持ちよって飲み会。
エレンさんがちゃっちゃと手早く料理をいくつか作ってくれたりして、なごやかな会となった。
10時半、解散。

※現代朗読ゼミに体験参加ができます。8月の参加可能な日時など詳細はこちら
※あさって22日(火)夜、内田秀樹準教練による韓氏意拳の初級講習会@現代朗読協会「羽根木の家」を開催します。どなたでもご参加いただけます。
 詳細と申し込みはこちら

2014年7月18日金曜日

来週月曜日(海の日)はボイスセラピスト講座

7月の2級ボイスセラピスト講座の日が近づいてきた。
毎月開催しているが、一度受講してボイスセラピスト資格を取得した方は何度でも無料で再受講できるようなっている。
これは、音読療法が体系化されてまだ間がない手法であり、日々更新されているので、セラピストたちにもスキル更新とスキルアップの機会をなるべく持ってもらいたいというニーズからだ。

今回も更新内容がある。
ひとつには、音読エチュードにあたらしい手法が加わった。
音読エチュードは個人セッション、グループセッションともに、多くの種類が用意されているが、そこにあたらしい手法の「ソマティック・リーディング」というものが加わった。
これは肉体接触をともなった音読エチュードで、それゆえにいきなりおこなうのはリスクをともなうが、音読療法ではそこにいたるプロセスが用意されていて、安全が確保されている。
そしてこれは大変効果的な手法で、そのことはすでに機会を重ねて実証されている。
また理論的な裏付けもあるので、ボイスセラピストはスキル更新とともに知識も更新してほしい。

もうひとつは、「音読トレーナー制度」に向けての準備ともいえる音読エクササイズの試行だ。
音読エチュードよりさらに身体運動をともなった音読エクササイズは、テキストを読みあげることからさらに一歩、二歩踏みこんで、フィジカルな効果をねらう。
結果的にメンタル面にも効果をもたらす。
これもすでにいくつか準備されているが、受講者といっしょに試行しながらあたらしいエクササイズを作ってみたいも思っている。

来週月曜日7月21日、海の日(休日)の開催である。
問い合わせにも応じているので、興味がある方はまずはコンタクトしてみてください。

※7月21日(海の日)の2級ボイスセラピスト講座は、午前10時から現代朗読協会「羽根木の家」での開催です。詳細と申し込みはこちら

2014年7月15日火曜日

実例:洗濯物を干すのを妻に頼まれたが夫は忘れた(後)


(承前)
〔共感的な会話〕夫から妻へ
トモミ「ねえ、洗濯物、干してくれなかったの?」
ヒロシ「あ、悪いわるい、すっかり忘れてた。いまからやるから」
トモミ「もういいよ。わたしがやるから」
ヒロシ「(ここから相手に共感をあたえる)おれがきみとの約束を守らなかったから、イラッとしてる?」
トモミ「なんか、テキトーに返事したんじゃないのって思っちゃう」
ヒロシ「洗濯物干しといてってきみがいったき、おれが約束守る気もないのに適当に返事したんじゃないかって疑ってるんだね?」
トモミ「疑う、とまではいわないけどさ」
ヒロシ「おれのきみにたいする誠実さが感じられなくて、疑いの気持ちがわいたり、イライラしたりしてる?」
トモミ「たしかに約束してたのに洗濯物を干してくれなかったことは、誠実な感じじゃないよね」
ヒロシ「きみはおれがきみとの約束をきちんと守って誠実でいることが大切なことなんだね」
トモミ「そうよ」
ヒロシ「おれもきみにたいして誠実でいることが大事なんだ」
トモミ「じゃあ、どうして洗濯物を干しといてくれなかったの?」
ヒロシ「おれの話も聞いてくれるかな」

ここで人の心理として、「自分の話を聞いてもらえた相手の話は、聞く準備ができている」というものがあります。
ヒロシはトモミに共感をあたえて彼女が大事にしていることを聞くことができたので、今度は彼女のほうに彼の話を聞く準備ができて、ヒロシの話を聞いてもらえるというわけだ。
ヒロシは自分のニーズ――仕事の休みで休息のニーズがあること、自分の家でのんびりできる気楽さのニーズがあること、そういったニーズが優先的だったせいでトモミとの約束をつい忘れてしまったこと、しかし彼女との約束を守りたいという誠実のニーズもあり、それが果たせなかったことを後悔していること、できればいまからでも約束を果たさせてもらって誠実のニーズを満たしたいこと、などを伝えることができる。

これらの会話を読んで、一見、非現実的であり、自分にはそのような会話はありえない、と思った人が多いかもしれない。
もちろんこれは例であり、私の創作であって、現実にこのように会話が進むわけではない。
しかし、ここで大切なのは、会話の進め方ではなく、いつも相手に共感を向ける、相手がなにを大切にしているのかに興味を向ける、というこちらの「ありよう」なのだということだ。
そのことをまずは理解していただければ、と思う。

※あさって7月16日(水)夜の下北沢〈Stay Happy〉での「共感カフェ」の詳細と参加申し込みはこちら

2014年7月14日月曜日

実例:洗濯物を干すのを妻に頼まれたが夫は忘れた(前)

共感的コミュニケーションの実例集を書いていこうと思う。
実例には失敗した例と成功した例を併記する。
勉強会や共感カフェの例題として私が作って提供しているものもあるし、実際に参加者から聞いたほんとうの実例もある。
とても豊富な実例が私の手元に集まっているので、すこしずつ書いていきたいと思うが、「こんな場合はどうすればいい?」といった実例があれば提供していただけるとありがたい。
私と共感的コミュニケーションの学び・進展に貢献できるチャンスを、あなたに差し上げましょう(笑)。

さて。
最初の実例として、いっしょに暮らしている夫婦なりまたはパートナーの関係のふたりのあいだで、しばしば起こりうる事態において想定される会話の、非共感的なものと共感的なものを書いてみる。

前提。
ふたりはすでに何年かいっしょに暮らしているパートナーで、ここでは男女としておくが、性別も年齢も、関係性がパートナーでなくて家族であったり友人であったり、あるいは仕事の同僚であっても、似たようなことは起こりうる。
この例では、夫であるヒロシは仕事が休みの日であり、妻であるトモミが用事があって外出する、というシチュエーションにしてある。

トモミ「ヒロシ、わたし、ちょっと出かけてくるから、あとお願いね」
ヒロシ「(テレビの前でごろごろしながら)わかった」
トモミ「あ、それから、洗濯機を回してあるんだけど、終わったら干しといてくれるとうれしいんだけど」
ヒロシ「わかった。全然オッケー」
トモミ「ありがとう。じゃあ行ってくるね。1時間くらいでもどってくるから」
ヒロシ「ああ、気をつけてね」

トモミが出かけ、それから1時間後くらいに用事をすませて帰ってくる。
ところがヒロシはあいかわらずテレビの前に寝転んでいて、洗濯物はそのままになっている。

〔非共感的な会話〕
トモミ「ねえ、洗濯物、干してくれなかったの?」
ヒロシ「あ、悪いわるい、すっかり忘れてた。いまからやるから」
トモミ「もういいよ。わたしがやるから」
ヒロシ「やるっていってるじゃん。うっかり忘れたんだよ。やる気がなかったわけじゃない」
トモミ「いいって。わたしがやるほうが早いし、きれいに干せるから」
ヒロシ「なんだよ、せっかくやるっていってるのに」
トモミ「だって忘れてたんでしょ? わたしとの約束なんてどうだっていいんでしょ? いつもそうなんだから」
ヒロシ「きみとの約束がどうだっていいなんて思ってないよ」
トモミ「だったらなんで忘れたのよ」
ヒロシ「うっかりしてただけだってば」
トモミ「それこそどうだってよかったっていう証拠じゃない」
ヒロシ「そんなにおれのこと信用できないなら、最初から頼まなきゃいいじゃない」
トモミ「わかった。今度からなにも頼まない」

たかが洗濯物でふたりの関係は台無しである。
これを修復するのはかなり骨の折れることだろう(共感的コミュニケーションには「修復」というプロセスもあるが)。

〔共感的な会話〕
トモミ「ねえ、洗濯物、干してくれなかったの?」
ヒロシ「あ、悪いわるい、すっかり忘れてた。いまからやるから」
トモミ「(ここから相手に共感をあたえる)あなたが〈悪い〉と思ったのは、わたしとの約束を守れなくて誠実さを大切にできなかったからかな?」
ヒロシ「うっかりしてたんだよね。休みなんでついだらだらしちゃったよ」
トモミ「たまの休みに気楽にしていたいとか、ゆっくりしていたいと思ってるのかな?」
ヒロシ「うん、それはあるけど、約束は約束だからね、うっかりしてた。すまん」
トモミ「だれかとの約束を守る誠実さが、ヒロシには大事なんだね?」
ヒロシ「そう、とくにきみととの約束はね」
トモミ「それが守れなくて残念に思ってるのね?」
ヒロシ「そうなんだ。だから、いまからでもやらせてよ」
トモミ「わかった。そうすればヒロシの誠実さのニーズが満たされるのね?」
ヒロシ「だと思うよ」
トモミ「じゃあお願いできるかな。わたしもヒロシがわたしとの約束を守ることを大切に思ってるということがわかって、うれしいな。ありがとう」
ヒロシ「おれも遅ればせながら約束をはたせてうれしいよ」

なかなかこのとおりにはいかないかもしれないが、共感的コミュニケーションを用いるとこのように進展するかもしれないひとつの例ということで。
もうひとつのパターンもやっておきたい。
それは、ヒロシのほうからトモミに共感する、というパターンだ。
(つづく)

※あさって7月16日(水)夜の下北沢〈Stay Happy〉での「共感カフェ」の詳細と参加申し込みはこちら

豚肉とズッキーニのスパゲティ

ズッキーニが旬である。
焼いても揚げてもおいしいズッキーニは、パスタにもよく合う。

【材料】1人分
・ズッキーニ……1本の半分
・豚肉……80グラムくらい
・スパゲティ……80グラム
・にんにく……ひとかけ
・鷹の爪……1本
・オリーブ油、塩、コショウ、チャービルかイタリアンパセリ(あれば)

フライパンにオリーブ油(大さじ半分)をしき、中火にかける。
1.5cmの厚さに輪切りにしたズッキーニをならべて焼きめをつける。
片方に焼きめがついたら、裏返して反対側も焼き、軽く塩とコショウをふる。
いったんズッキーニを器に取り、おなじフライパンにオリーブ油(大さじ半分)を足して、火を弱火にする。
みじん切りにしたにんにくと種をぬいた鷹の爪をいれ、じっくりいためる。
香りがたってきたら、火を中火に強め、豚肉をいれていためる。
豚肉はバラ肉でもなんでもよいし、厚みがあってもスライス肉でも、なんでもよい。
すこし多めに塩、コショウをして、色が変わってきたら、ズッキーニをくわえていため合わせる。
ゆであげたスパゲティを、大さじ2杯分くらいのゆで汁といっしょにフライパンに投入し、ゆすりながら全体をすばやくまぜあわせる。
皿に盛りつけ、最後に、あればチャービルかイタリアンパセリを散らして完成。

書籍『共感的コミュニケーション』が受け入れられてうれしい

今年のはじめに『共感的コミュニケーション〔入門編〕』を電子ブックと紙本の両方でリリースして、「読みやすい/わかりやすい」と多くの人に読んでいただいている。

共感的コミュニケーションのベースになっているNVC(Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)は、その創始者であるマーシャル・ローゼンバーグが書いたものを安納献くんが監訳して、『NVC』というタイトルで日経新聞社から出版されている。
こちらを読んでいただくのが一番いいのだが、翻訳本ということで取っつきにくいと感じる人もいるようで(私はそうは思わなかったが)、最初から日本語で書かれた私の本のほうがわかりやすいという人もいる。
いずれにしても、まずはNVCや共感的コミュニケーションについて知ってもらい、興味を持っていただければいいのだ。
私の本がいくらかでも貢献していると思えるとうれしい。

先日、『共感的コミュニケーション〔応用編〕』もリリースして、さっそく多くの方に読んでもらっているようだ。
「読みやすいので一気に読めた」という人もいて、ありがたいかぎりだ。
この〔応用編〕にも書いたことだが、本を読んで興味を持ったら、実際に勉強会やワークショップに来てもらって実際に練習したり、プロセスを体験してもらいたい。
知識だけではどうしても身につかないところがあるので、自分の体験にそったワークをおこなってもらうのが一番いいのだ。

安納献くんや歌手の鈴木重子さんがNVCのワークショップを開催しているし、ほかにも国際公認トレーナーを海外から招聘して日本でも学べるようにと奔走している日本のコアメンバーも、何人か勉強会やワークショップを開催している。
私もそのひとりで、ただしNVCという名前は冠さずに、共感的コミュニケーションという名称での勉強会やカフェを開催している。

興味を持った人はどの勉強会でも、ワークショップでも、とにかく行ってみてほしい。
私の勉強会/カフェにももちろん歓迎だ。
特徴としては、やはり『共感的コミュケーション』の著者であるということから、本を読んでわからなかったことや感想があれば直接伝えられるということがあるし、なるべくわかりやすく、楽しくやりたいと心がけているので、初めての人でもリピーターでもとにかく参加しやすい、という面があると思う。

あさっての夜は下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉で共感カフェを開催する。
毎回、カフェの一部コーナーを使わせてもらって、オープンな雰囲気でやらせてもらっている。
占いでもするような気軽さで参加できるのではないかと思う。
『共感的コミュニケーション』の本も持参するので(忘れなければ)、ご希望の方は著者から直接お求めください。

※あさって7月16日(水)夜の下北沢〈Stay Happy〉での「共感カフェ」の詳細と参加申し込みはこちら

2014年7月13日日曜日

音読・朗読トレーナー養成講座

ある必要性があって、音読・朗読トレーナーというものを育成したいと思っていた。
いよいよそれに取りかかろうとして、あれこれかんがえていたら、この音読・朗読トレーナーは私の必要性だけでなく、さまざまな社会的需要にこたえられるのではないかと思いはじめた。

なぜ音読・朗読トレーナーを養成したいと思ったか。
現代朗読ではゼミや講座のはじめでかならず、一連の基礎トレーニングをおこなっている。
かるいストレッチからはじまって呼吸法、発声、体認のエチュードへとすすむ。
朗読があまりにテキストや言語にとらわれすぎていて、身体表現の一種であることをおざなりにされすぎていることに注意をはらい、現代朗読では「朗読身体」を作っていくことを意識している。

このあたりのことは拙著『現代朗読考』に詳しく書いてあるので、興味のある方はご参照いただきたい。

自分の声とことばが身体から発生してくること、そしてその質、表情が身体性と密接な関係にあることを理解し、みずからの身体への繊細な感受性とクオリティアップの意識を持つこと、そのためにおこなっているのが現代朗読の基礎トレーニングだ。
毎回、ほぼおなじことをやる。
そのなかで、ゼミ生は自分の身体への注目をふかめ、微細な変化にも気づける感受性をきたえていく。
もちろん、呼吸そのものの質を練ることにも役立つ。

ほとんどの場合、毎回これを私が主導しておこなってきたのだが、この部分をそろそろだれかに手渡していきたい、というのがもともとのニーズとしてあった。
さらにいえば、現代朗読の指導者というか演出家を育てたい、というニーズが私にはあって、これまでにも何度か演出コースのようなものを試してみたことがあるのだが、うまくいっていなかった。
演出のような、言語化するのがむずかしい部分が多いものを、どうやって人に伝えていけばいいのか、まさかいまさら徒弟制度でもないだろうし、というところで足踏みしていたのだ。
しかし、今回、はっきりと言語化できたり、スキルとして身につけてもらえる部分に絞って伝えることにすればいいじゃないか、と割り切ることにした。
それが音読・朗読トレーナーの養成というわけだ。

かんがえているうちに、このトレーナーは私の仕事の肩代わりをしてもらえるだけじゃなく、さまざまな場面で活躍できるのではないかと思いはじめた。
たとえば、子どもたち相手のグループセッションの進行役として。
現代朗読協会は墨田区の教育支援プログラムの協力団体として登録していて、時々小学校から朗読授業のよ呼びがかかるのだが、そういうとき、トレーナーのスキルが役にたつ。
また、この8月からスタートする「音読こくご塾」でもトレーナーは活躍できそうだ。

ほかにも介護予防教室をファシリテートしたり、ここでは書けないが(秘密のアイディア)一般の人に広く利用してもらえるようなプログラムにおけるグループセッションの指導者としても力を発揮できるだろう。
とにかく、けっこう「つぶし」がきくスキルなのだ。

内容は現代朗読でおこなっている基礎トレーニングにくわえて、音読・群読のさまざまなエチュードの理解と進行方法(朗読エチュード)、さらにはもっと身体を積極的に使ったダイレクトな健康法にもなるような音読エクササイズといったものも、プログラムに加わる予定だ。
そして音読療法にせよ朗読エチュードにせよ、グループセッションでは共感的コミュニケーションのスキルがファシリテーションスキルとして用いられているので、これも同時に学んでいってもらう必要がある。
学ぶためのカリキュラムは、私が詳細なドキュメントを書くつもりでいる。
つまり、だれが学んでもひとしくスキルとして身につけられるように、ということを心がけている。

いまのところ講座は、すでにある程度の現代朗読の基礎的考え方がわかっているゼミ生(正会員)が対象で、一般参加者の受け入れは予定していない。

東京→北陸

昨日は朝からトランジション世田谷茶沢会のメンバーが来て、ガーデン部の活動。
蚊が多いなか、せっせと畑の草取りやら間引きやらをして、だいぶすっきりした。

そのあと、電車で二子玉川まで行く。
KATと待ち合わせて、バスで瀬田四広場こと旧小坂邸に行く。
瀬田四広場活用企画ワークショップに参加する。
初めて会う方が多く、名刺を渡してご挨拶する。
今年のさまざまなイベントの検討をおこなう。
げろきょも去年につづいて11月に紅葉狩り朗読ということで、ワークショップとミニライブのイベントをここでおこなう予定だ。

さほど暑くならずにたすかった。
羽根木にもどって、イベントや講座の告知作業。
それで日が暮れてしまった。

今日は朝から移動。
羽根木、渋谷、品川、羽田空港と乗りついで、飛行機で小松へ。
小松は雨で、かなり涼しい。
雨は明日まで降りつづくそう。

音読・朗読トレーナーを養成する講座の内容をかんがえ、ゼミ生に打診する。
やってみたいという者、多し。
一般向けにはむずかしいか。

2014年7月11日金曜日

音読こくご塾の無料体験会をおこなった

この前の日曜日・7月6日の夕方に、羽根木の家で8月からスタートする「音読こくご塾」の無料体験会をおこなった。
8人の小中学生と、その保護者、そして見学者が参加して、広い羽根木の家の座敷もにぎやかになった。

音読こくご塾は小学生から高校生まで、さまざまな年齢・学年の子どもたちがひとつところに集って、それぞれのニーズに応じて自主的な学びが発動する場をめざしていて、そこでは完全に安心して自分を表現できることを確保する。
学校や家庭の学びの場面で、子どもたちは「こうしなさい」「ああしてはいけない」といったことを教師や大人からいわれつづけ、のびやかな学びと成長の芽を摘まれているのではないかということに心を痛めている。
せめて音読こくご塾では子どもたちのニーズを最大限尊重し、共感することによってのびのびと学べるようにできれば、と思っている。

そして、「音読」であり「こくご」である。
声に出して文章を読むこと、そして文章を書いて自分を表現することを楽しんでもらう。
音読は理解の能力をたかめ、また本を読むことに抵抗をおぼえなくなるので本好きの子どもが育つことが知られている。
学校教育でも音読は推奨されているのだが、いかんせんそれは「評価システム」に組み入れられてしまっているので、結果的に音読嫌いの子どもを大量生産してしまっているのが現状だ。
しかし、学びにかける音読の効用は大きいので、子どもたちには音読することの楽しさ、そのことによっていきいきする自分自身の身体性について知ってもらいたいのだ。

また現代はネットが進展し、今後もさらに進展しつづけることだろう。
そんななか、自分を表現し人に伝える手段として、テキスト表現はいま以上に欠かせないものになっていくだろう。
しかし、文章を書くことが苦手な人がいかに多いことか。
これもまた評価システムを用いている学校教育に原因があることはまちがいない。
文章で自分を表現し、人に伝えることの喜びや楽しさを、子どもたちには知ってもらいたいと思っている。

長々と書いてしまったが、そんなコンセプトのもと、まずは無料体験会を開催したのだった。
お互いに知らない同士だったり、まだ羽根木の家になじんでいなかったりと、まだまだ遠慮がちで元気な声も出にくかったかもしれないが、慣れてもらい、ここが完全に安心して自分を表現し、ニーズを満たすことができる場であることを知ってもらったら、そこから自発的な学びの姿勢が生まれてくるはずだ。
それを私は早く見たいと思っている。
体験会の終わりごろにはすこし慣れた子どもたちがのびのびと遊んだり、あちこち探検したり、という姿が見られた。

お母さんたちとも話をさせてもらった。
みなさんが持っているいまの教育にたいする危機感や、自分の子どもを守りたい、のびのびと育ってもらいたいという熱意を受けとることができた。

8月からスタートする予定だが、8月は夏休みなので、まずは3日間の特別コースを開催することになっている。
8月11日から3日間の午前中に、音読こくご塾夏休み特別クラスを開催するので、興味がある方は気軽にお問い合わせください。

※お問い合わせ、申し込みは音読療法協会受付フォーム(メッセージ欄に「音読こくご塾」とお書きください)もしくは電話「090-9962-0848」に伝言を残してください(折り返しご連絡します)。

横浜共感カフェ7月8日

NVCの調停のワークショップの翌日、7月8日の夜は、横浜での共感カフェがあった。
最初に大倉山のカフェで開催して、気づいたらもう半年になる。
いまは兼久須美子さんが主催してくれていて、毎月1回のペースで開催している。
場所もこのところ、神奈川県民センターのボランティア団体が自由に利用できるスペースになっている。

8日の夜は5人の参加があり、全員リピーターだった。
男性が3人、うち2人は最初の大倉山のカフェに来てくれた人で、ひさしぶりに顔を出してくれてうれしい。
男性が共感的コミュニケーションに興味を持って積極的に学びに来てくれるのは希望が持てる。
しかも年輩の男性ふたり。
どちらも失礼ながら、こちらが話をしてもけっこうしぶい顔つきで腕組みしたりして聞いていて、リアクションも薄い感じなのだが、実はきちんと興味を持って聞いてくれていることがあとでちゃんとわかったりする。
自分の感情を表にあらわすことが苦手だったり、正直な反応をあらわせないことは、私自身よくわかっていて、そういうふうに育てられ、そのように期待されて生きてきた結果、そうなっているだけなのだ。
中身は繊細で優しい人たちであることはわかる。
そうでなければ共感カフェにも来てくれないだろう。

調停の話もまじえ、チームビルディングの話をしたり、どちらかというといつものように実際にワークをしてもらうというより講義中心になったのだが、熱心な反応があった。
ほぼ全員の話を聞かせてもらうこともできた。
この夜はみなさんとのつながりの質が一段深まったような手応えがあり、私もうれしい気持ちになった。
ある政治運動に関わっている人が多く、それぞれ社会変革の意識を持っておられるのだが、運動体としてなかなかまとまりが持てなかったり、せっかくおなじこころざしを持っていながら仲間同士でぎくしゃくしてしまったりと、悩みがいろいろある。
そこにまず共感し、話を聞かせてもらうことができた。

「ちょっとだけ山が動いた気がした」と感想をもらったり、すこし希望が持てた、といわれたり、また個人的に聞いてもらいたいことがあるので電話番号を教えてほしいといわれたり、私としても貢献とつながりのニーズが満たされるのを感じて、充実した気持ちで横浜をあとにしたのだった。



※7月16日(水)夜、下北沢の旅カフェ〈ステイ・ハッピー〉で共感的コミュニケーションの勉強会「共感カフェ」を開催します。詳細と申し込みはこちら

※次回の横浜・神奈川県民センターでの共感カフェは8月5日(火)夜の開催です。どなたでも参加できます。詳細と申し込みはこちら

ジョン・キニョンによるNVCの調停ワークショップ

先日7月7日(月)はNVC(非暴力コミュニケーション/私は共感的コミュニケーションとして伝えている)の国際公認トレーナーであるジョン・キニョン氏による「調停(mediation)」のワークショップが羽根木の家で開催された。
ジョンは前日の8日午後に日本に到着し、そのまま羽根木の家に来て、招聘メンバーによる歓迎会に出てくれた。
料理はマリコが用意してくれた。

ジョンの今回の主目的は韓国での6日間にわたる調停のリトリートで、これはすでにもう何回もおこなわれているらしい。
その途中で日本に立ち寄ることが可能ということで、きくちゆみさんのはからいで一日だけやってくれることになったのだ。

ジョンは6日と7日とも羽根木の家に宿泊して、7日にワークショップを主催。
通訳は安納献くん(いつも彼がいてくれるので心強い)。
7日は午前10時から16時まで、NVCをある程度理解している経験者向けのワークショップ。
調停という、経験を要する、しかしNVCの手法としてとてもパワフルなスキルについて、デモンストレーションを交えながら教えてもらった。

ランチタイムはマリコが作った優しい味の野菜カレー。
16時に終わってからも質問などが相次ぎ、結局17時くらいまでやっていた。

夜は19時から21時半までの、初心者向けのワークショップ。
こちらはさすがに時間がみじかく、調停の手法の全貌を学ぶというわけにはいかなかったが、それでもNVCの可能性を体感することはできたと思う。

翌8日はジョンが韓国に発つ日。
午前中は羽根木の家でくつろいでもらい、和風の朝食をいっしょに食べたりしたあと、お昼ごろにふたりで渋谷に向かう。
渋谷の街をすこし歩いて案内したあと、ラーメンが気にいっているというジョンのために〈桂花〉に連れていく。
そこでいくらか話ができた。
ジョンに聞かれたのは、原発事故のこと、地震と津波のその後のこと、そして日本、韓国、中国の関係がいまどうなっているのか、ということ。

〈桂花〉のあとは、渋谷駅で切符を買い、湘南新宿ラインのホームまで連れていって、成田エクスプレスに送りこんで別れた。
別れぎわにかたい握手とハグ(笑)。
深くて濃い学びの数日をもたらしてくれたジョンに感謝。
NVCのトレーナーが来ると、最後は羽根木の家から出発することが多く、いつも別れのときにはちょっと切ない気分になる。