2015年1月30日金曜日

白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉での蜂谷真紀さん

「追っかけ」みたいになってしまったが、二日間連続でヴォーカルの蜂谷真紀さんを聴く機会にめぐまれた。
昨夜は私もお世話になっている白楽の〈ビッチェズ・ブリュー〉でソロライブがあるというので、現代朗読の野々宮卯妙といっしょに行ってきた。

行ってみてちょっとびっくりした。
ビッチェズ・ブリューの杉田さんの手違いでダブルブッキングが発生していたのだ。
つまり、もう一組(こちらはスタンダードなジャズボーカルとピアノのデュオの方)と日程がかぶってブッキングされていた。

おもしろかったのは、蜂谷さんが「私、こういうハプニング、嫌いじゃないですから」といって普通にセッティングを進め、もう一組の方たちとしきりになにかからんでいっしょにやれないかオファーしておられたことだった。
私や野々宮にもそういうところがあって、そんな蜂谷さんをおもしろがってみていたのだった。

結局、蜂谷さんが8時から、もう一組の方たちが9時から、そして10時からふたたび蜂谷さんがやるという、ちょっと変わった進行のライブとなった。
お客さんはまったくちがうタイプのパフォーマンスをふたつ観れて、結果的にお得なライブとなった。

蜂谷さんのパフォーマンスは一昨日のキッド・アイラックでのそれのようにヴォイスからはじまった。
即興で窓の外の通行人にからんだり(聞こえないが)、ポスターにからんだりと、まあ多彩な遊びを展開したあと、ピアノに座って弾き語り(というのだろうか)のパフォーマンスも聴かせてくれた。

自詩の朗読があったり、それを使った即興弾き語りがあったり、ジャズナンバーや自作曲の弾き語りがあったり、次から次へと予測不能のインプロビゼーションが展開されていき、飽きなかった。
ここに私がピアノで、野々宮が朗読でからむとしたら、どんな感じになるだろうかと想像するのも楽しかったが、これもやってみなければまったくわからない。
本当に音楽が好きで、また独特の世界を持っていて、即興という「いまここ」の世界に開かれている人なのだなあということを、あらためて確認した。

野々宮が「いっしょにやりましょう!」と声をかけてくれ(私はなかなかこういうことをいいだせない)、蜂谷さんから快く承諾の返事をいただいたときはうれしかった。
おそらく近いうちに告知できるのではないかと思う。

2015年1月28日水曜日

ひさしぶりのキッド・アイラックで蜂谷真紀さんを聴いた

これまで一度もお会いしたことも、聴いたこともなかったのだが、お世話になっている〈ビッチェズ・ブリュー〉の杉田さんが絶賛していて、近所の〈キッド・アイラック・アート・ホール〉でライブがあるというので、ヴォーカルの蜂谷真紀さんを聴きに行ってきた(徒歩10分)。
正確にはダンスの木村由さん、蜂谷真紀さん、チェロの森重靖宗さんの三人によるライブパフォーマンスだ。

ホールではなく、三階のギャラリースペースでのパフォーマンスだった。
ここは三階と四階がぶち抜きになっている、一風変わった作りで、パフォーマンスをやるにはちょっと癖のある空間だ。
だからこそおもしろいともいえる。
私も一度ここでやってみたいと思っていて、これまで機会がなかった。

お客さんは詰めても20人もはいればいっぱいだ。
もっとも、ホールのほうも30人もいれれば満杯になるが。

今日は日中も寒かったが、夜になってさらに冷えこんできていたので、私はなんとなく暖かい四階のほうのスペースにある席をとった。
目の前にチェロと椅子が置かれている。
ファーストセットが始まってみると、そこにはチェロの森重さんが座って演奏し、木村さんは階段のところ、蜂谷さんは三階スペースのほうにいて、私からは完全にデッドになっていたが、もちろん声は聞こえる。

セカンドセットではチェロが三階に移動し、蜂谷さんが四階からスタート、という按配だった。

はじまってみると、音はまったく即興の現代音楽といった感じで、つぎになにが来るか予測のつかないスリリングな展開。
スペースの構造上、ダンスよりやはり音に注目してしまう。

初めて聞く蜂谷さんはまったくすばらしいのひとことだった。
これまで聴いたヴォイスのだれともちがっていたし、そのクオリティとオリジナリティが光っていた。
つぎからつぎへとアイディアが飛びだしてくるので、一見、頭をフル回転させているパフォーマンスのように見えるが、実はちがうと感じた。
「いまここ」に集中するプレゼンスがすばらしく、それはまるで子どもがなにかに夢中になっている姿そのものだ。

きれいな女性の方なのでついそちらに目を奪われてしまいがちだが、本質は我々現代人の大人が失ってひさしい子どもの純粋な「夢中」にあるように感じた。
これって、現代朗読がめざしていることだし、私自身、自分の音楽のなかでそうありたいと思っていることだね。

すばらしいパフォーマーを知ることができて、うれしい夜となった。
幸い、いまかなりホットで、人気もある方のようだ。
私などがあれこれいわなくても、どんどん世界を広げていかれる方だろうと思う。

余談だが、いいニュースをホールの早川くんから聞いた。
このギャラリースペースに、早ければ来月にはアップライトのピアノがはいるかもしれない、とのこと。
ぜひとも私もここでライブをやらねば。

遠方から羽根木の家まで来てくれる人たち

現代朗読ゼミ生の満里菜は、いまのところゼミ生のなかでは最年少で、大学生なのだが、彼女のおかあさんの実雪さんは草加市にある天然石ブレスレットのお店〈Jugem〉で共感・声カフェを主催してくれていて、親子ともども大変お世話になっている。

おかあさんは占星術とタロットリーディングの占い師でもあるのだが、ツイッターで「なっしー」というオリジナルのゆるキャラ漫画を時々描いていて、ひそかなファンが多い。
私もそのひとりである。
先日、羽根木の家に遊びにいらしたとき、私のiPadにさらさらと描いてくれたのが、これ。

羽根木の家に来られたのは、娘が参加している現代朗読のゼミを一度見学したい、という希望があったからだった。
せっかくなので、実雪さんにも体験してもらった。
現代朗読のベーシックトレーニングでは、呼吸法や体認エチュードでかなり体力を使っておられたようだった(笑)。

そのときのことをフェイスブックでコメントしてくれた。
うれしかったので、このブログでも一部を紹介したい。

――――――
昨日は体験に参加させていただき大変、勉強になりました。
また大変、運動にもなりました。
娘が学校休みの日に早起きして埼玉から下北沢まで行く程、熱を入れているのが分かった気がします。
――――――

私も草加の共感カフェに月イチで出かけるのでわかるのだが、草加の満里菜の自宅から羽根木の家までは1時間半近くかかる。
現代朗読はほかに似たような活動がないせいか、かなり遠方から通ってきてくれる人が多い。
パッと思いつくだけでも、船橋、柏、豊田、羽村、かつては戸塚や藤沢、上野原、坂戸、つくば、那珂といったところから通ってくる人もいた。
遠方の方はオンライン参加という方法もあるので、利用してもらいたい。

※現代朗読ゼミに体験参加ができます。2月の参加可能な日時など詳細はこちら

2015年1月26日月曜日

【YouTube】四茶げろきょオープンマイク(2015.1)抜粋

2015年1月25日に三軒茶屋のライブハウス〈四軒茶屋〉でおこなわれたオープンマイクイベントのもようから、ごくかいつまんで抜粋をご紹介します。
レポートはこちらのブログ記事をどうぞ。

出演者はつぎのとおりでした。

 飯干大嵩(朗読)
 てんトコラ(朗読)
 西口千草(自作童話の朗読)
 小島裕史(講談)
 ふくおかかつひこ(フリートーク)
 はっしー(ピアノ演奏・即興)
 御幸菜穂子(朗読)+水城ゆう(ピアノ・即興)
 アグネス・ラボ=有田朋美(ヴォーカル)+エノモト(ピアノ) (歌曲)
 湯谷麻生子(弾き語り)
 高崎梓(朗読)+川崎満里菜(朗読)+水城ゆう(ピアノ・即興)
 野々宮卯妙(朗読)+水城ゆう(ピアノ・即興)

映像はこちらから。
下の画像をクリックしても見ることができます。
※現代朗読はゼミが活動の中心になっています。
ゼミにはどなたでも、いつでも体験参加ができます。参加可能な日時など詳細はこちら

四茶げろきょオープンマイク、1月の会を開催

2015年1月25日、日曜日。
三軒茶屋のライブハウス〈四軒茶屋〉にて、お店とげろきょこと現代朗読協会が共催でオープンマイクイベントを開催した。
このイベントは今回で3回めとなった。

15時開場、16時開演ということで、私はげろきょの仲間の野々宮卯妙、高崎梓、川崎満里菜らと15時半すぎに到着。
私と司会進行役をやってくれている森沢幸がすでに到着していた。
また、今回初参加で、講談を披露してくれるという小島裕史さんが15時に来られて、セッティングの確認と声出しをしておられた(熱意がうれしい)。

今回の出演者はつぎのとおりだった。

 1. 飯干大嵩(朗読)
 2. てんトコラ(朗読)
 3. 西口千草(自作童話の朗読)
 4. 小島裕史(講談)
 5. ふくおかかつひこ(フリートーク)
 6. はっしー(ピアノ演奏・即興)
 7. 御幸菜穂子(朗読)+水城ゆう(ピアノ・即興)
 8. アグネス・ラボ=有田朋美(ヴォーカル)+エノモト(ピアノ) (歌曲)
 9. 湯谷麻生子(弾き語り)
10. 高崎梓(朗読)+川崎満里菜(朗読)+水城ゆう(ピアノ・即興)
11. 野々宮卯妙(朗読)+水城ゆう(ピアノ・即興)

今回、ダンスはなかったが、大変バラエティ豊かな演目で楽しかった。
初めてお会いする方やひさしぶりに会えた人もいて、うれしかったのだ。

菜穂子さんはひと前で朗読するのが4か月ぶりということで、それでも自由奔放に「食材朗読」をしてくれた。
私はそれにピアノで参加したのだが、楽しませていただいた。

梓と満里菜は当日、直前になって、「じゅげむ」と「平家物語」の同時朗読をやることが決まって、なんにも練習できなかったのだが、お互いにしっかりと聴き合ってコミュニケーションを取るというコンセプトでやったので、大変楽しいパフォーマンスとなった。
私もこれにピアノで割りこませてもらった。

このイベントのお約束として「お互いに批判・批評・評価はせずに、ただ受け止め合う」というものがある。
ただし、発表したらなんらかのフィードバックがほしいと思うのは当然のことなので、受け取ったものをすばやくチェックできるフィードバックシートを全員に配っていて、それを出演者にお渡しするというシステムになっている。
評価ではなく、どのように受け取ってもらえたのかがわかる仕組みを工夫している。
そのおかげで、だれもが安心して自由に表現できる場になりつつあるように感じた。

このイベントの模様はごくかいつまんだ抜粋映像を配信する予定なので、次回以降の出演・観覧をかんがえておられる方は参考にしていただきたい。
なお、次回の開催は3月29日(日)16時、おなじ〈四軒茶屋〉での開演となっている。

2015年1月25日日曜日

食べるダイエット(呼吸法も併用)

写真はiPhoneの体重計アプリの画面キャプチャーで、それぞれこの半年と半月の私の体重の増減がわかる。
多少の幅はあるものの、およそ59Kgから61Kgの、60Kgをはさんだ2Kgからほとんど変化していないことがわかると思う。
体重が安定しているときは、体調も安定しているようだ。

この安定した状態にもってくるまでには、さまざまな試行錯誤があったが、ここ数年でようやく「これだ」というものに落ち着いた。

じつをいうと、一時私の体重は67Kgまで増加したことがある。
2011年の震災直後から急に増えはじめて(増える前は60Kgくらいだった)、その年の内に7Kg増えた。
原因はストレスによる過食だろう。

身体が重くなったのはいうまでもないが(なにしろ7Kgの「肉」をいつも背負って歩いているのだから)、もともと故障がある膝に影響があったり、腰を傷めやすくなったりと、危険な兆候がいくつか出てきた。
検査したわけではないが、血糖値や中性脂肪、肝臓の数値なども変化があっただろうと思う。
なにより腹がぼてぼてと張りだし、美意識がそこなわれた(自分なりのね)。

その後、音読療法協会を立ちあげ、呼吸法とマインドフルネスをこころがけることによって、ゆっくりと体重を平時にもどしていき、去年2013年末には58Kgまで落とした。
約10Kg近くの減量に成功し、その後ほぼ安定して、いまにいたる。
お腹もへこんだ。

体重維持は呼吸法とマインドフルネスをこころがけるだけだ。
呼吸法によってコアマッスルを作り、基礎代謝を底上げする。
7、8年前には加齢による体力の衰えから、階段をのぼると息切れを起こしていたものだが、呼吸法によるコアマッスルの強化と肺活量の増加で、いまは若いころと変わらず軽く階段の上り下りができる。

呼吸法よりダイエットに強力に効果を発揮するのが、マインドフルネスだ。
とくに食事のときのマインドフルネスの実践は、大きなダイエット効果が期待できる。
食事の内容を変える必要もないし、無理な自制も必要ない。
自然に必要なものを必要なだけ、楽しんでおいしく食べればいいダイエット法で、こんなに楽なものはない。
ただ食べ方に意識を向けるだけなのだ。

マインドフルネスの食事法としては、「食べる瞑想」という方法がある。
これはやってみるとわかるが、食事や料理にたいする意識ががらりと変わる。
必要以上に摂食してしまいがちな現代人のマインドにみずから変化をもたらす方法といっていい。

無理にやせるのではなく、自分にとってもっともここちよく健康的だと身体が教えてくれるちょうどいい体重にもっていくためのダイエット法なのだ。
だから、ただ「やせたい」と思っている人には不向きかもしれない。
健康でいたい、ここちよくすごしたい、という自分のニーズを大切にしたい人には、とても快適なダイエット法だと思う。
これについては、たぶん、本が一冊書ける。

羽根木の家では食べる瞑想、マインドフルネス・ダイエットの実践の機会を作っているので、興味がある方は気軽に問い合わせてください。

※音読療法協会お問い合わせ窓口はこちら

2015年1月23日金曜日

ゼミ、ゼミ、ゼミ

昨日は朝から現代朗読の基礎ゼミ。
朗読するとき、えてして朗読者は頭でかんがえたりイメージした表現をおこなおうとする。
そのとき、表現はその朗読者の「実体」からはかけはなれたもの——いわば「虚像」を提示する。
つまり嘘くさい。
現代朗読では自分の身体に注目し、できるかぎり実体に近づくことで、像にブレのない実在表現をめざす。
そのための練習法がいろいろと用意されている。

もう数年来の仲間であるゼミ生のフジサワさんが、像ブレのないリアルな表現にこのところ急速に接近していて、昨日も驚いた。
とてもうれしい瞬間である。

昼、奥田くんと、新代田駅横の担々麺の店〈香家〉で昼食。
小説を書くことについていろいろ話す。
テキスト表現者にとっては、まず孤独な作業にたえうる精神性が必要だが、つぎに必要なのは自分の表現を安心して発表できるコミュニティだ。
そのコミュニティは共感ベースでつながっていて、なおかつ外の世界に開いている必要もある。
でないと身内ウケだけの場所になってしまう。
テキスト表現にかぎらず、げろきょ(現代朗読協会)もそうだろう。

午後も基礎ゼミ。
夜はオーディオブックゼミ。
オーディオブックゼミでは、あけみさんに協力してもらって、「朗読者のためのベーシックトレーニングメニュー」を整理してみた。
これはゼミ生のみんなにも活用してもらえるだろうと思う。

※現代朗読ゼミに体験参加ができます。2月の参加可能な日時など詳細はこちら

2015年1月21日水曜日

もうすぐ四茶げろきょオープンマイクです

今週の日曜日・1月25日の夕方、3回めの開催で恒例となりつつある三軒茶屋のライブスペース〈四軒茶屋〉での、お店とげろきょ(現代朗読協会)共催のオープンマイクイベントをおこなう。
すでに参加申し込みが10人以上あって、今回もにぎやかになりそうだ。

げろきょが主催ではあるけれど、パフォーマンスは朗読にかぎっていない。
朗読のほかにダンス、歌、演奏などいろいろあるし、それらの組み合わせがけっこうあるというのもこの場の特徴になりつつあるかもしれない。
また、出演者同士が当日顔を合わせて、その場でコラボしたりするというのもありだ。
そういう表現者がつながるハブ的な役割もはたせればうれしい。
今回は講談の人が初参加するらしい。

あまり出演申し込みが多いようならどこかで参加枠を締め切ろうと思うが、いまのところまだ余裕があるようだ。
興味がある方は早めに申しこんでほしい。

私はナレーターの森沢幸と司会進行をつとめるが、せっかくなので今回はソロ演奏で出演枠に参加してみようかと思ってたりする。
「音楽瞑想」(http://otohi.blogspot.com)をライブでやってみよう。
いつものように朗読や歌との共演でもピアノを弾く予定だ。
四軒茶屋にはグランドピアノがあるので、それを演奏するのも楽しみのひとつだ。

げろきょ&四茶共催オープンマイクの第3回の詳細はこちら

トランジション・カフェ@羽根木の家を開催した

昨日はトランジション世田谷 茶沢会主催のトランジション・カフェを羽根木の家で開催した。

午前中から和食ちゃんと、ガーデン部の活動がおこなわれている羽根木の家の庭を見たいという初参加者が来て、畑仕事を少し。
その前に昼食を提供してくれる料理人マリコが来て、昼食の準備。

正午すぎにマリコランチがスタート。
お膳を使って、オーガニックな安心・安全の食材を使ったランチを、みんなでおいしくいただく。

午後からはあらたに参加者も加わって、十数人でトランジション・カフェ。
初参加も方も何人かいて、活気のある楽しい会となった。
地図作りのイベントをしている世田谷代田の空間工場と、今年始まるミツバチ部の活動を、合流させるといいのでは、という話になり、かなりおもしろくなりそうだ。
ほかにもナチュラル・シード・マイスターの講座をやっていたり参加している 方々も来られて、ガーデン部に興味を持っていただいたようだ。

午後3時に終了後も、何人か残って、なかなか話がつきなかった。
次回は3月くらいにまた開催したいと思っているが、日程など詳細は未定。

旅カフェ〈Stay Happy〉と羽根木の家で共感・声カフェを開催した

一昨日・1月19日の夜は下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉で、昨日・1月20日の夜は羽根木の家で、それぞれ共感・声カフェを開催した。

いずれも数名の少人数でじっくりと共感的コミュニケーションの勉強をした。
自分に共感すること(自己共感)。
自分が落ちついていられること、自分のニーズにいきいきとつながっていること、そこからスタートすることで相手への共感のエネルギーを持ちつづけられること、他者への興味を持続しつづけ、ねばりつよく共感しつづけられること。
そんなことをとくに練習してみた。

自己共感を強力にたすけてくれるのは、マインドフルネスの技術だ。
自分の呼吸に気づき、自分自身のありように注目し、自分と世界のつながりをいまこの瞬間の連続で感じつづけること。

〈Stay Happy〉では初めての方もいらしたのだが、とても熱く興味を持ってくれたようで、たぶんまた共感カフェに参加してくれるだろうと思った。
昨夜の羽根木の家では家族とのコミュニケーションの問題について、自己共感からスタートしてつながりの質を高めることについて、個別にやってみた。

次回の〈Stay Happy〉の共感・声カフェは3月16日(月)夜の開催。
羽根木の家の共感・声カフェは2月26日(木)夜の開催。

2015年1月19日月曜日

老眼鏡を使わないと近眼が進む?

最近気がついたことだが、これは私ひとりの個人的な現象なのかもしれないし、医師や専門家に確認したわけではないので、話半分に読んでほしい。

うっかり老眼鏡を忘れて外出して、なにか文字を読む必要があったとき、なんとか目をこらして読もうとする。
私は老眼がすすむのが早くて、41歳のときに初めて自前の老眼鏡を購入してかけはじめたので、かれこれもう15年以上は世話になっている。
いまは度が「2.0」で、ここしばらくは安定している。
しかし、老眼鏡がないとこまかい文字を読むのがつらい。
とくに暗い場所ではまったく読めなくなったりする。

こまかい文字を無理に読もうとすると、自分の眼球が筋肉を懸命に絞って焦点を合わせようとしているのがわかる。
そういう無理をしたあとに、ふと遠くを見たら、焦点がぼやけて遠くのものが見えにくくなっていることに気づく。

老眼は早かったが、近視はなく、たぶんいまでも遠くのものを見るときには視力は2.0あると思う。
もちろん運転免許の更新のときにも引っかかったことはない。
だから、老眼がなくて近くの文字を無理に読もうとしたあと、遠方のものがぼやけて見えたときはちょっとショックだった。
つまり、近視ではないのに近視が進んでしまったように感じたのだ。

実際、老眼が進んでいるのに老眼鏡を使わずに近くのこまかい文字を無理に読もうとすると、焦点を絞る筋肉を酷使してしまう、今度は逆に遠方のものに焦点を合わせにくくなるのではないか。
これは近視がすすむ理屈と合致している。

老眼がすすんだことを恥ずかしがる人がいるが、無理せず度のあった老眼鏡を使ったほうが、視力はたもたれるような気がする。
すくなくとも私はそのようにしようと思う。

これからいきいき音読ケア、夜は下北沢で共感カフェ

今日は午後、富士見台の高齢者福祉施設(有料老人ホーム)まで「いきいき音読ケア」という音読療法のワークをやりに行く。
ボイスセラピストのKATがメイン講師としてワークをファシリテートしてくれる。
いつもはボイスセラピスト(マスター資格)の野々宮卯妙もサポートに来てくれるのだが、今日は愛知県の豊橋で共感的コミュニケーションのワークショップで講師をやっているので不在。
かわりに私が同行する。

音読療法はその気になれば活躍の場はいくらでも広げられるのだが、現時点で実動できるボイスセラピストがすくないことが悩みの種だ。
せっせと講座を開催して育成につとめているのだが、なかなか増えてくれない。
今年は音読療法協会も法人化して、組織強化につとめ、より人材確保につとめたいとかんがえている。
そのためにやりたいことは山のようにある。

ところで、今日行くホームには、利用者が寄付してくれたというグランドピアノがあるので、私が行くときには季節の唱歌のミニライブをやることになっている。
楽しみにしてくれている方がいらして、私も楽しみなのだ。


そして今夜は下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉で共感・声カフェを開催。
こちらではこれが今年初めてとなる。
いまのところ6名くらいの参加と聞いている。
あとすこし余裕があるので、興味がある方はどうぞ気楽においでください。
詳細はこちら

2015年1月18日日曜日

演奏に代金は払いたくないのか

(おことわりする必要もないことでしょうが、念のために、以下は私見です。寛大なこころでお読みください)

タイトルのブログ記事を読んだ。
本文はこちら

プロなら演奏するにはお金をもらうべきだ、対価を払わない人は失礼だ、無償ボランティアなどありえない……
こういうかんがえかたをする人がたくさんいる。
また、こういうかんがえに対してたくさんの「イイネ」がつく。
理解できないことはないが、私はこういうふうにはかんがえない。

私のかんがえかたは、ひとことでいって、
「プロならお金をもらおうが、無償だろうが、ボランティアだろうが、どんなシチュエーションでも最高のパフォーマンスを提供したい」
いまパッと思いついたことなので適切な例なのかどうかわからないけれど、書いてみると、たとえば吉永小百合が東北の被災地の人から朗読に来てほしいと依頼されて「ギャラが出ないなら行かない」といっている場面を想像できるだろうか。
まあそのへんは事務所とかマネージャーがきっちり処理するのかもしれないが、彼女個人ならきっと交通費が自腹だったとしても喜んで行くような気がするな。
といって、直接の知り合いではないのでわかんないけど。
イメージですよ、たとえばの!

そもそも、プロ/アマチュアという区分すらおかしなことだと、私は思っている。
その区分は経済社会のなかで生まれたものであって、私たち表現する者とはなんの関係もない。
あえてプロかアマチュアか、という区別をもちいるとすれば、「それを生きているのか、あるいはそれは趣味なのか」程度のものになるだろう(私にとっては)。

私はだれが見ても、あるいは社会的に規定されるとしても、プロのもの書きであり、プロのピアニストであろうが(それでお金をいただいているし、本やCDも出ている)、自分がプロであるかどうかは自分がそれを生きているかどうかで決める。
他人の評価や社会的規定で決められるのは遠慮したい。
音楽を生きているか、ものを書くことを生きているか、表現することを生きることの中心に置いているか、これをただ自分に問う。

なので、お金をいただこうが、いただくまいが、私が生きられる場所にはよろこんで行くだろう。
このブログだってそうだ。
おアシはいただいていないが、ここは私が生きている場だ。

老人ホームや病院にももちろん喜んで行く。
施設に予算があればお金をいただけるかもしれないし、予算がなければ無償で行くかもしれない。
交通費すら出ないかもしれないが、そのことで怒ったりはしない。
怒るならそもそも受けないし、怒る理由があるとしたらたぶんそれはお金の問題ではない。
自分が尊重されるかどうか、という問題だろう。
もちろん、尊重が金銭的な対価という形で示されることもあるだろうし、そのことを私は否定するものではない(もちろんうれしいし)。

この方もお金の問題のように書いているけれど、おそらくもっとも大切なのは「尊重されているかどうか」なのではないかと思う。
それをお金の問題とごちゃまぜにしてしまう人が多いように思う。

では、あんたどうやって生活するんだよ、生活するには金がいるんだよ、という問題をきっと突きつけられることだろう。
げんに何度も訊かれてきた。
私のなかではすでに解決ずみのことなのでわざわざ書くのもめんどうなのだが、ちょっとだけ書いておくと、音楽家は演奏対価だけに頼らずに生活できるようにみずから知恵を絞り、また社会性を身につけ社会と積極的に関わることで生きていく、そういうことがいまの時代には必要なことではないのだろうか。

これはもの書きについてもいえる。
そもそもすでに現代社会において、だれかが書いたもの、だれかが演奏したもの、だれかが作ったもの、そういったいわゆる形のないコンテンツに対して対価を支払おうという仕組みが崩壊してしまっている、という現実がある。
その現実のなかで、音楽家は、作家は、どのように生きていけるのか、自分が生き、なおかつ社会から必要とされ、また社会に影響を与え、関わりつづけていくにはなにができるのか、ということをきちんとかんがえなければならない。
と、私は思っている。

池袋で立ち食い蕎麦、ゼミ、チェキ

昨日は韓氏意拳の導師講習会に参加したあと、帰りがけに池袋駅で立ち食い蕎麦でお昼。
天玉かき揚げ蕎麦というものをいただく。
駅の立ち食い蕎麦の蕎麦は、厳密には蕎麦とは思っていなくて、たまたまおなじ蕎麦という名前がついたなにか別の麺類だと思って食べるようにしている。
でないと腹が立つ(多くの越前人がそうであろう)。

午後は現代朗読の基礎ゼミを羽根木の家で。
いつものように楽しかったな。
木曜ゼミもそうだったが、年初めのゼミということで、とくに基礎トレーニングをその目的や方法を確認しながらしっかりとやる。

終わってから、まりながお母さんが買ったというチェキを持ってきたので、見せてもらって遊ぶ。
なるほど、この商品、まだ現役で活躍しているんだな。
ポラロイドをはじめ、インスタントカメラ事業から撤退する会社が多いなか、富士フィルムのチェキはまだがんばっているらしい。

それにしても、残ったゼミ生と撮った写真を見ていると、私はなんだか娘たちに囲まれたお父さんのように見える。
私に娘はいないのだが。

※現代朗読協会ではゼミや講座など、どなたでも気楽に体験参加ができるように窓を開いています。来週の体験参加できるイベントはこちら

正月休みで朗読筋がなまる(リップノイズや不安定さ)

岡本綺堂の半七捕物帳全60余話のコンプリートをめざして、ゼミ生を中心に手分けして収録をすすめているが、今年もそれがはじまっている。
ところが、暮れと正月休みでトレーニングをさぼっていた読み手は、たちまちクオリティの低下として顕在化して苦労することになる。

ディレクションをしていると、マイクに向かっている読み手がどの程度トレーニングをおこたらなかったのか、あるいはおこたったのかは、手に取るようにわかる。
それはもう物理的な瑕疵としてはっきりと顕在化するのだ。

リップノイズが多くなるのは当然として、数分も読めば読みがよれてくる、呼吸が不安定になる、そこに注意を向けなければならなくなると今度は表現が甘くなる、硬くなる、作り声になる、押しつけがましい発声になる、とさまざまなことが起こる。
これはもうごまかしようがなく起こってくる。
なので、最悪、差し戻し(日をあらためてのやりなおし)になるか、なんとか収録をすすめたとしてもお互いに大変苦労することになるし、時間もかかる。

たのむからみんな、日頃のトレー二ングをおこたらないでね。
どうやれば読みのクオリティが維持できるか、あるいは向上できるかについては、すべて伝えてあるつもりだ。
世間で多くの人が苦労しているリップノイズ対策についても、現代朗読ではほぼ完全にクリアする方法が確立されている。

トレーニングをただやるだけだ。
それだけ。
自分のニーズにつながって、毎日しっかりと、おこたらずにやる。
バレリーナが毎日ストレッチを欠かさないように、アスリートが毎日ランニングや筋トレを欠かさないように、イチローが毎日決まった手順で訓練を重ねているように、朗読者も基礎トレーニングを毎日欠かさずやってほしい。
そうやってマイク前にすわる読み手は、オペレートするこちら側にもはっきりとわかる。
とても気持ちよく表現に集中してディレクションができる。
仕事の質をあげていくことに集中できる。
というようなことをみんなに理解してもらえると、私はうれしいのだ。

※音声表現に関わる仕事をしている方、それをめざしている方のためのスキルアップ個人セッションをおこなっています。プライバシー厳守します。詳しくはこちら

韓氏意拳導師講習会で文京スポーツセンターまで行ってきた

昨日の午前中は茗荷谷にある文京区スポーツセンターまで、光岡英稔導師による韓氏意拳初級講習会に行ってきた。
会員限定の講習会だったので、内容はかなり突っ込んだものだったように思う。

形体訓練から平歩站椿、基礎試力へとすすみながら、型をもちいることの意味やその目的について突っ込んだ講義を受けた。
型はただそれをなぞるだけでは形式におちいってしまい、なにも得るものはないが、韓氏意拳においては身体への深い注目において自分の身体そのものが教えてくれる自然本能のありようや可能性をさぐることができる。

人は身体をなまけさせるような現代文明を築いてきたが、そのなかで我々がうしなってしまった身体の可能性や注目をせめてすこしは取りもどし、運動能力を発揮できるように身体や感受性を練っていくための方法として韓氏意拳という武術がある。
この点が他の武術やスポーツとまったく違っているところで、おもしろいゆえんだ。
さいわい、人間は他の動物とちがって「自省自知」の能力があるので、身体が発している違和感やとどこおりから自分自身のことを知り、学び、成長することができる。

站椿という静止した型稽古からしかわからないことがある。
また、試力という動きのなかで、自分の集注や注目の減衰を感じてしまうこともある。
そういうとき、動きからさらに深く身体(感覚体)への注目が必要になってくる。
こういった独特の稽古をとおして、私たちは自分の身体にそなわっている本来の働きに出会うことができる。
光岡先生はそれを「古代の身体」といっていた。
西洋から輸入され、翻訳された現代日本の身体観が、いかにそれ以前のものとちがったものなのかという話も興味深かった。

3時間みっちりの稽古で足がつりそうになりながらも、スカッとクリアな気分でスポーツセンターをあとにした。

※世田谷の古民家「羽根木の家」での韓氏意拳講習会を2月14日(土)に開催します。詳細はこちら

音楽瞑想Vol.18まで来た

元旦から配信スタートした「音楽瞑想(music meditation)」は今日で18曲めの配信となった。
毎日かならず配信すると決めているわけではないが、なるべく一日一曲流したいと思っていて、いまのところ一日もとぎれずに配信できている。

ちょっとだけ裏方の話。コンテンツの作り方。
最初にあるのは、まず曲、というか演奏。

羽根木の家にはアコースティックのピアノはなく、デジタルピアノしかない。
そのmidiアウト端子にmidiケーブルをつないで、MacBookのUSBポートからmidi録音する。
直接ピアノからラインで録音してもいいのだが、安いピアノなので音源もそれなりの音しかしない。
midiで演奏データを取りこんでおけば、好きな音源をそれにあてることができる。
このとき、同時にムービーにも録画しておく。

つぎに、取りこんだ演奏を音楽編集ソフトで実際の音に変える。
といっても、midiデータにピアノの音源を割り当てるだけだが。
私の場合は Mac用の音楽ソフト Logic Pro X を使っていて、そこにバンドルされているベーゼンドルファー(オーストリアのピアノ)の音を当てている。
midiデータをいじって演奏そのものを修正することもできるのだが、あきらかなミスタッチ以外はほとんど修正を加えていない。
演奏したほとんどそのままが、音色だけベーゼンドルファーになって配信されている。
ムービーも同時にとっているので、演奏データを修正すると映像と合わない部分が出てきて、修正したことがバレてしまうしね。

配信用の演奏音源が完成したり、今度は映像編集ソフト Final Cut Pro を使って配信用の映像編集。
録画したムービーデータに音源を読みこんで、タイミングを合わせたら、ムービーのほうの音声は無音にする。
そこに風景とか移動映像などのイメージ映像を重ねて、トランジションの処理。
最後にクレジットをはめこんで完成。
これをYouTubeとブログに配信する。


毎日配信ということで、最初のころは自分のなかの「音楽ネタ」みたいなものを引き出しから出してくるイメージでやっていたが、これを毎日つづけることは不可能だろう。
たぶん、そんなにたくさん引き出しはない。
すでにある引き出しをひっくりかえすのではなく、いまこの瞬間の自分の身体から出てくる音に耳をすます、というイメージで演奏している。

ピアノの前にすわり、なにもかんがえずに、鍵盤に指を置く。
指が、腕が、身体がどう動きたがっているのか、頭のなかをまっしろにして演奏をはじめる。
はじめてみると「そう動きたかったのね」ということがわかり、あとはただそれについていくだけ。
調性があったりなかったり、リズムが生まれたり揺れたり、それを余計な思考が邪魔しないように、ただひたすら思念を無にして、まさに音楽的な瞑想をおこなう。


こんなものを毎日、無料で、そう多くの人が聴いてくれるわけでもないなか、なぜ配信しつづけるのか、という疑問がないわけではない。
実際、なんでこんなことをやっているの、と訊かれることもある。
もっと有意義なこと(たいていの人はそれは「お金になること」という意味のようだが)に時間と労力を使えばいいのに、といわれる。
しかし、私のなかでは、うまく言葉にできないけれど、なにか意義があってやっていることなのだ。

あえていえば、人の存在や表現の多様性に貢献していきたいという気持ちがあるかもしれない。
経済システムや国家主義にたいする私なりのレジスタンスとしてやっている、という側面もあるだろう。
しかし、なにより、毎日こうやって自分自身と自分の音に向かい合うことが楽しいのだ。
それが正直なところだ。
私はピアニストなのであり、音楽を生きている。




※ほぼ毎日配信の音楽瞑想はこちらから聴けます。

2015年1月15日木曜日

フォーマルコンセンサスの復習会

昨日の夜は、おもに日本のNVCのコアメンバーが集まって、集団の合意形成に大変力を発揮するフォーマル・コンセンサスというプロセスの復習会をおこなった。
呼びかけたのは安納献くんで、私はそのサポートを。

復習会、というのは、去年の夏、一度、フォーマル・コンセンサスの専門家を献くんが羽根木に呼んでくれて、ワークショップを開催したことがあるからだ。
そのときに、これは集団の合意形成において非常にパワフルなツールだという実感があったので、今後、NVCのみならず、さまざまなグループ、組織など、運動体の意思決定プロセスに積極的に活用していけたら、という思いが残った。
それを受けて、昨夜の復習会がおこなわれた。

初めて参加する人が半分くらいいたが、あとの半分は去年の参加者に参加した人たちで、各自がそれぞれとっていたノートから補足しあって、実際のプロセスの確認と、実践的な合意形成のシミュレートをおこなうことができた。
大変楽しく、また有意義な会だった。
献ちゃん、ありがとう。
私も今後、機会あるごとにこの方法を使ったり、人に紹介したりしていきたい。

オーガニックランチ付共感カフェ

昨日・14日(水)は、午前11時から羽根木の家で共感・声カフェを開催した。
これまでは昼の共感カフェは15時から2時間くらいおこなっていたのだが、今回は11時スタートでお昼をはさんでランチをいただき、午後3時までという、ややゆったりした時間を設定してみた。

ランチは羽根木の家の専属料理人マリコによる安全で安心なものを提供してもらった。
写真でもおいしそうだが、実際においしかったのだ。
このランチをいただくときに、食べる瞑想をおこなった。
ひとくちひとくち、ゆっくりと味わい、感謝してマインドフルにいただく。
この食べ方は、じつはダイエット効果も高いのだ。
このことについてはまたあらためて書きたい。

共感的コミュニケーションはいつものように具体的事例にそってプロセスを練習したのだが、それ以外にも自己共感でとても役に立つマインドフルネスを導くための呼吸法などもおこなった。
このくらいゆったりと時間が取れるといいのだが、平日の昼はなかなか参加者が集まらなくて、頻繁に開催するのはむずかしいのかもしれない。

※下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉にて共感・声カフェを1月19日(月)夜に開催します。詳細はこちら

横浜共感カフェ、白楽でMASH

一昨日・13日夜は須美子さんが主催してくれている神奈川県民センターでの横浜共感カフェに講師で参加。
いつものメンバーに加えて、先日、現代朗読のゼミに体験参加した方が共感的コミュニケーションにも興味を持ってくれたとのことで、来てくれた。

この日は常連の方が関わっている市民運動などで、おなじ志を持っていながら意見がぶつかったりして、気まずくなったり、運動が鈍ったり、最悪の場合には解散してしまったり、といった事態がしばしば起こることについて、共感的コミュニケーションの「チーム・ビルディング」のスキルを使って修復したり、運動を活発にしたりする方法について、いっしょに学んでみた。
チーム全員がこのスキルを共有することが理想なのだが、何人かリードする者がいればかなり有効なこともある。

ほかに、仕事場における上司と部下の関係性のクオリティを高めるための方法など、いっしょに学んだ。

主催の須美子さんもそうだが、参加者のライパチくんが自主的にビラを作ってまわりの人に勧めてくれていて、大変ありがたいことだ。
感謝。
横浜のみなさん、今年もどうぞよろしく、なのだ。

※2月6日(金)夜、横浜の神奈川県民センターにて、共感的コミュニケーションをまなんでいる仲間が主催する共感カフェを開催します。詳細はこちら


21時に共感カフェを終え、その足で東横線の各停に乗って白楽に移動。
白楽のライブハウス〈ビッチェズ・ブリュー〉にフリージャズユニット〈MASH〉が出演しているというので、ちょっとだけでもと思って駆けつけた。
現代朗読の野々宮も先に来ていて、行ったらちょうど彼女も参加して最後のセッションの真っ最中だった。
森順治さんやフルートの直子さんも演奏していて、終了後、今年最初のご挨拶。

セッション終了後もしばらく残って、オーナーの杉田さんと今年の打ち合わせを少し。
ちょっと先のことだが、4月に店のすばらしいアナログのオーディオシステム(アルテックのスピーカーとマッキントッシュの真空管アンプ)を使ってアナログレコード(LP)を聴く会をやりましょう、ということになった。
楽しみだ。
その前に、来月は私のピアノ演奏と朗読、歌のライブをおこなうことになってい。

※2月20日(金)夜、横浜・白楽のジャズスポット〈ビッチェズ・ブリュー〉で朗読と音楽のライブをおこないます。詳細はこちら

南大塚ホールで伊藤さやか

12日・成人の日の羽根木の家での韓氏意拳講習会のあと、夜、大塚まで行く。
南大塚ホールで伊藤さやかの音楽事務所の新春コンサートがあるというので、聴きに行ってきた。

まあバラエティの富んだ事務所で、演歌あり、シャンソンあり、クラシックあり、ポップスあり、ダンスありのコンサートだった。
伊藤さやかも司会をしながら、自分も「大塚ものがたり」と地元のキャンペーンソングをデュエットで歌ったり、東京キャンディーズというユニットで歌ったり、いろいろやっていて、おもしろかった。

なかでも、青山ひかるという男性歌手のユニークさが光っていて、注目をあつめていた。
この人は売れるんじゃないだろうか、と私はにらんでいる。
音楽の世界もいまは上手に歌ったり演奏できてあたりまえ、もし超絶技巧だとしてもちょっとびっくりされて終わり、という時代にあって、唯一勝負できるものがあるとすれば、それはオリジナリティ、個性だろう。

では、どうやればオリジナリティを磨くことができるのか、ということになると、これといった決め手はなかなかなく、それこそ自分自身にたいする深い共感や注目が必要で、場合によってはすぐれたメンター(精神的指導者)が必要になるだろう。




※1月25日(日)夕方から三軒茶屋のライブハウス〈四軒茶屋〉にて、毎回大好評のげろきょ&四茶共催オープンマイクの第3回を開催します。詳細はこちら

羽根木韓氏意拳、平牧三元豚の豆乳鍋

3連休最後の1月12日・成人の日は、毎月おこなっている羽根木の家での韓氏意拳初級講習会だった。

午前中は体験参加も可能なクラス。
定員は8名なのだが、午後のクラスから移動してきた人がいたりして、定員オーバーの10名参加。
広々した羽根木の座敷もいっぱいになり、広縁のほうまで開放して講習会がおこなわれた。
指導は内田秀樹先生。

昼は生活クラブで購入した平牧三元豚があったので、水菜、豆腐といっしょに簡単に豆乳鍋を作って食べる。
おいし。

午後は会員限定のクラスで、私も参加。
技撃椿の順式、逆式、捧抱式、托宝式、大式、そして重心転換と進んだが、いずれにしても「状態」の深さ、身体感覚の集注の深まりが要求され、先週の中野講習会に引きつづき大変濃密な練習となった。

参加いただいた皆さん、内田先生、お疲れ様でした。


※世田谷の古民家「羽根木の家」での韓氏意拳講習会を2月14日(土)に開催します。詳細はこちら

半七捕物帳収録、音読療法ミーティング、Jugem共感カフェ

連休なか日の11日、日曜日。

昼前にまりなが来て、野々宮のオーディオブックの半七捕物帳の収録を手伝ってくれる。
そのあと、昼すぎに梓が来て、みんなでたこ焼きをコタツの上で焼く。
楽しかったけれど、ちょっと食べすぎて苦しい。
そのあと、音読療法協会関係のミーティング。

夕方、まりなと2人で草加に向かい、〈Jugem〉で共感カフェを開催。
まりなのお母さんの実雪さんが主催。
常連のMさんが以前から悩んでいた家族の問題について、当事者のお母さんを連れて参加。
じっくりとお話をうかがい、共感的コミュニケーションでの対処法をみんなでかんがえてみた。
おわったときに「ひさしぶりに気が晴れました」といっていただいたのが、私もうれしかった。




※草加の天然石ブレスレット専門店〈Jugem〉での共感・声カフェ、ミニライブ付を2月1日(日)夕方に開催します。詳細はこちら

3連休、基礎ゼミ、テキスト表現ゼミ、瞑想音楽

この前の連休は3連休だったらしいが、私は関係なく通常モードで動いていた。
幸いなことに、体調はまずまず(万全ではない。が、世間では風邪やインフルエンザが猛烈に流行っていて、こちらのイベントなどにもキャンセルが続出、知人も多くが倒れている)。

連休初日の10日(土)は、午前中から現代朗読の基礎ゼミ。
参加者は少なかったが、基礎トレーニングはしっかりやる。

晩さんから精妙な工作の名札をいただいた。
みゆきさんからまゆ最中をいただいたので、お茶受けにおいしくいただく。

みゆきさんが音声編集のやり方を教わりたいというので、時間を作って、コンピュータでの編集の基本を伝える。
とくに音楽ではなくオーディオブックなどの音声編集は、特殊な知識と素養が必要なのだが、そういうことを学べる場所はそう多くない。
ひょっとしてオンラインでのテレクラスで教えることができるかもしれないと思った。
需要がありそうなら、近いうちにテレクラスを開講してもいい。

午後も基礎クラス。
オーディオブックリーダー養成講座に個人参加している男性も参加。
もう1人、体験参加の申し込みがあったのだが、風邪ひきで欠席。

夕方はオンラインで奥田くんとテキスト表現ゼミをやる。
ハードボイルド文体の練習。
なにをどうするとハードボイルドになるのか、その成立の歴史的な話も含め、いろいろ伝えた。

夜は音楽瞑想のピアノ演奏を、部屋を真っ暗にして録音してみた。


※現代朗読ゼミに体験参加ができます。1月の参加可能な日時など詳細はこちら

2015年1月9日金曜日

韓氏意拳、中野での初稽古に行ってきた

韓氏意拳も始めて2年、今年は3年めに突入する。
武術はいくらか習ったことがあるが、こんなにつづいているのは初めてだ。

武術を習いにいくとき、なにが(私にとって)嫌かというと、道場に行ってまず「礼」、ときにはわけのわからない武術の神様だの日の丸の旗だのに正座して「礼」。
そもそも私は膝に故障があって、正座できない。
先輩後輩という関係性における「礼儀」を強要されたり。
指導者を神格化したり。
門下生の技量や経験度で序列をつけたり。
その最たるものが、段位許認可制度だろう。

韓氏意拳にはそういうものが一切ない。
そこがびっくりするもすがすがしいところだ。
私のような社会行動不適応な者にとって、こんなにありがたいことはない。
ただひたすら、自分自身のこととして稽古を深めていく。
そこに寄り添ってくれる指導者の存在は、この上なくありがたい。

さて、一昨日は、いつもの中野の新井区民活動センターまで、初稽古に行ってきた。
正月休み明けの、実家の大雪かきで筋肉痛を抱えたちょっとゆるんだ身体でぼけーっと参加したら、いきなり稽古の難易度があがっていてガツンときた。
会員向けの講習会ということもあったのかもしれないが、体認や状態への集注などに高い要求があり、いやがおうでも自分の身体へと感覚を深く進入させていく必要があった。
仮手という、道具を使った稽古もあったのだが、それも状態の集注と深い体認があってはじめて生きてくること。
あらためて型や式をつうじて自分本来の身体の深さ、ポテンシャルにアクセスしていく稽古の大切さとおもしろさを体感できて、大変充実した初稽古となった(疲れたけど)。

※世田谷の古民家「羽根木の家」での韓氏意拳講習会を1月12日(月/成人の日)に開催します。詳細はこちらへ。

北陸→東京、平常モードへ

6日・火曜日の午後、北陸の実家から東京にもどった。

帰る前日には、正月帰省のシメとして、恒例の手打ちおろしそばをいただく。
大根おろしの絞り汁に薄口醤油を割りいれただけの汁を、ネギをトッピングしただけのそばにぶっかけていただくという、シンプル極まりないものだが、これを一度食べるとほかのどこのそばも食べられなくなるという不幸の元である。
いつからこの食べ方をしているのか忘れたが、以来ずっとこれしか食べていない。

7日・水曜日は中野の新井区民活動センターまで行き、韓氏意拳の初稽古。
これは別項で。
その前に、ひさしぶりに〈トリコカレー〉に寄れた。
今年初のカレーはタコカレー。

昨日・8日は現代朗読の初ゼミ。
午前中は基礎ゼミ。
お正月の報告をしあったあと、初稽古ともいえる基礎トレーニングをしっかりやる。
ちょっと難易度の高い体認エチュードにも挑戦してみたり。

昼はワンコインランチをサービスしたのだが、希望者がいなかったので(寂)、午後に来る予定の秀恵ちゃんに早めに来てもらい、卯妙さんと3人でランチ。
ネギと鶏肉のクリームソースパスタと、ネギのスープ。
おいしゅうございました。

午後はずっと秀恵ちゃんと音楽談義やら、ちょっと練習やらで、だらだらとすごす。
YouTubeをひっくり返して、ジャズの臨時ミニ講座をやったり。
私もひさしぶりにじっくり音楽を聴けて楽しかった。

夜はオーディオブックゼミ。
やはり基礎トレーニングをしっかりやってみる。
そのあとは半七捕物帳の課題に取り組む。
てんちゃんにはフレーズ終わりの問題の解決策を、あけみさんには原因不明のリップノイズの問題の最終特定と解決法を、卯妙さんにもノイズ問題などをやって、少人数ながら内容の濃い時間となった。

※現代朗読ゼミに体験参加ができます。1月の参加可能な日時など詳細はこちら

2015年1月5日月曜日

連続配信の「音楽瞑想」5日間が経過

毎日配信ブログの「マインドフルな毎日」が2014年12月31日をもって無事に365回の連載を終了したことを受け、2015年1月1日からおなじブログサイトにて新連載「音楽瞑想」をスタートさせた。
これはかならずしも「毎日配信」と決めているわけではないのだが、なるべく毎日配信したいと思っていて、元旦からスタートしたものが今日1月5日で無事に「Vol.5」の配信をおこなった。

われながらしぶとい(笑)。
よくまあ、こんなめんどくさいことを、だれにも頼まれないのに、一円のお金にもならないのに、やるなあと思う。
もちろん自分のためにやっているのだし、楽しいからやっているのだ。

ここ10年くらい、自分がピアノを演奏するということもあるが、現代朗読を主宰したり、そこから派生した音読療法をオーガナイズする過程で、系統的に調べたり学んだり実践してきたことがある。
その流れを書きだしてみる。

 パフォーミングアート(表現)
 身体への気づき
 マインドフルネスとフロー
 言語思考を手放す⇒呼吸と瞑想
 音楽瞑想

一貫していえるのは、自分自分のいまこの瞬間のありようとまわりのことに気づきつづけ、たくらみと言語思考を手放して、一瞬一瞬真新しい自分自身に出会いつづけることで思いもかけない表現が生まれてくる喜びに立ちあうことをめざしてきた、ということだ。

50歳を超えてようやくそのことに気づいたのは遅きに失したともいえるが、逆に気づくことができてよかったともいえる。
それ以前の私は、とにかく、すばらしい表現を生むためには模倣し、反復し、たくらみ、対象化し、評価しつづけることが必要だと信じていた。
それはそれは苦しい道のりだった。
そしてそれは、自分が自分以外の何者か——ありもしない架空のなにかすばらしい人物——になろうとするむなしいあがきでもあった。
それらすべてを手放し、まったくちがう方向を見てみたとき、かぎりない自由と可能性があった。

もちろんこれらのことに一夜にして気づいたわけではない。
前述したように流れがあり、一歩一歩進んできた実感がある。
またそれはいまも進行中だ。
まだ出会ったこともない自分自身に出会いつづける旅は、おそらく死ぬまでつづく。
その発見と気づきを人に伝える手段を持てていて、本当に幸せだと感じる。

今年スタートした「音楽瞑想」も、動画というネットコンテンツだけでなく、実際のライブでも機会をとらえて実践していきたいと思っている。
みなさんともどこかでお会いできれば幸いである。

※YouTube動画連続配信ブログはこちら

集中降雪、雪かき

新年明けて2日から3日の午前中にかけて、記録的ともいうべき集中的な降雪があった。
豪雪地帯にある私の実家の周辺は、1メートル前後の積雪があったようだ。
私の家は盆地の街なかにあるのだが、周辺の山沿いでは2メートル以上の積雪も見られた。

どこかに出かけるためには、まず、車を出さなければならない。
そのために、車庫の前と、そこから幹線道路へ出る道の雪を片付けなければならない。
歩いて出かける、なんてのは真冬の八甲田山に普段着でのぼるようなもので、街なかでも平気で遭難する。
だから、車を出すしかない。

幹線道路は未明の暗いうちから除雪車がたくさん出て、片っ端から道をあけている。
それはいいのだが、除雪車といってもとりあえずは道路の雪を脇へとどかすだけなので、幹線から脇道へとはいるコーナーにも、うず高く雪が盛られている。
これを片付けないと幹線道路へ出られないのだ。

どの家も、ほとんど未明から、正月にもかかわらず人が出て、雪かきに追われている。
若い者がいる家はいいが、年寄りや女子どもだけの家は大変だ。
しかし、一軒だけさぼっていると、その家の前だけ道がふさがったままで車が通れない。
雪かきに出られない家があると、やむなく隣近所の人が片付けるのだが、雪かきに出られない人は肩身が狭い思いをする。
田舎暮らしというのはそういうことだ。

4日には雪はもうやんで、晴れたり、雨になったりして、かなり天候はゆるんだ。
そのすきを見て、屋根雪を降ろす家も多かった。
もうやんだからいいだろう、と思うかもしれないが、そうはいかない。
次に降るときにそなえて、なるべく屋根をあけておきたいのだ。

私の幼馴染で同級生のさとみちゃんがひとりで屋根にあがっていたので、声をかけたら、
「泣きそう、というより、泣いてるよ」
と返ってきた。
彼女は老齢のお母さんとふたり暮らしだ。
勤めを休んで、一日、雪かきに明け暮れているのだという。

まあしかし、景色をながめる余裕ができれば、美しい。
家のなかが暖かければ、猫といっしょにストーブの横でまどろむのもいい。

今日・5日は朝から晴れ間が出て、雪はもう溶けはじめている。
道路は細い路地まですべて、すっかり片付けられている。
ただ、道路脇にはうず高い雪山が残っている。
明日は雨だそうだ。
が、明後日からまたしばらく、雪マークが出ている。
私は明日、東京にもどる。
8日から現代朗読のゼミがスタートする。

※現代朗読ゼミに体験参加ができます。1月の参加可能な日時など詳細はこちら