2015年2月27日金曜日

スケジュール表をなるべく白くしたい

以下、随筆です。
ところで、随筆っていうことば、ひさしぶりに使ったような気がする。
「つれづれなるままにつづってみる」という感じだろうか。
横文字ではエッセーともいう。
つづるといっても、筆は使わないけどね。

毎週、現代朗読協会のゼミ生のためにゼミや講座やライブイベントと、加えて私のプライベートなイベントを加えた3週間先までのスケジュールを流している。
これは何年か前からはじめたことだが、ふと、数年前と最近のスケジュールのようすがずいぶん変わったなあと思った。

まず、数年前はこんなにイベントがびっしりじゃなかった。
だれかとなにかをやるのも好きだけど、私はひとりでいることも好きで、ひとりでいられる時間と場所を確保できないとつらくなる。
なので、数年前まではかならず、週のうち何日かはなんの予定もいれない、ひとりでものを書いたり音楽を作ったりする日を作ってあったのだ。
ところが、現在のスケジュールをながめてみると、ほとんどあいている日がない。
毎日なんらかのイベントがはいっていて、だれかに会ったり、講座やゼミをやったり、ライブをやったりしている。
それなのに生活はいっこうに楽にならない(というのは余談だが、事実)。

ちょっと意識的にスケジュールをいれない日というのを作ったほうがいいなと決意している。
なにもスケジュールをいれないからといって、だらだらすごしたいわけじゃない。
やりたいことはいっぱいあって、そのほとんどは個人的なものだ。
その時間を確保したいだけだ。
ぶらっと旅行に出たり、人のライブに顔を出したり、なんて余裕はいまとてもない。

スケジュールはなるべく週の後半にまとめるようにしよう。
月火水あたりの週の前半はなるべくスケジュールをいれないようにしたい。

来月・3月あたまはボイスセラピーおよび共感的コミュニケーションのイベントがつづく。
3月1日(日)10:00-15:30は羽根木の家で音読療法協会のボイスセラピー講座
その夜は草加の天然石ブレスレット専門店〈Jugem〉での共感・声カフェ
3月3日(火)夜は横浜の神奈川県民センターでの共感・声カフェ
3月16日(月)夜は下北沢の旅カフェ〈Stay Happy〉での共感・声カフェ

共感カフェの参加者がすこしずつ増えてきたり、常連が増えてきたのはうれしいかぎりだ。
私の伝える内容や伝え方もすこしずつ変化している。
自分と参加者の楽しいほうへ、いきいきするほうへと進んでいくことをこころがけている。

羽根木共感カフェ、ショート音楽瞑想付き

昨夜は羽根木の家で毎月開催している「共感・声カフェ」だった。
冷たい雨が降るなか、おいでいただいたみなさんには感謝。

全員が一度は共感的コミュニケーションの勉強会かNVCのワークショップに出たことがあったのだが、具体的事例に沿いながらも共感のコアなスキルや考え方をしっかりと確認しながら進めることができた。

すべての人の行動や感情はかならずニーズにもとづいていること、たとえそのことに気づいていなくてもそこにはニーズがあるということ、そのニーズに気づき明らかにしていくことで自己共感が得られ、クリアでパワフルな人生が開けること。
だれかを自分の思いどおりにコントールすることはできないけれど、その人自身が自分のニーズに気づくお手伝いはできるし、そこで生まれたつながりの質によってこちらのニーズを相手に伝え、お願いができる関係性が作れるかもしれないこと。
自分にとって都合が悪い言動をしている人のニーズは見えにくく、敵視してしまったり関係を遠ざけたりしてしまいがちだが、相手のニーズを推測し、たとえ無言であろうとも共感を送りつづけることで、関係性は確実に変化すること。

今回は最後のほうでふたつのトピックを扱った。
ひとつはNVCで「unfinished work」と呼ばれている「自分のなかでの未解決事項の決着」のためのプロセス。
みなさんから「救われた」「来てよかった」という声をいただいた。

もうひとつは音楽瞑想。
みじかい時間のショートバージョンだったが、瞑想の原理やそれがもたらす効果について簡単に説明したあと、ピアノを使ってイメージ誘導による音楽瞑想をおこなった。
これも大変好評をいただいて、提供した私としても充実感があってハッピーだった。
演奏中は私自身も深い瞑想状態にはいっていくので、終わったあとは自分自身がクリアな感覚体にいわば脱皮しているような感じがある。
この本格バージョンを、今度明大前でおこなうことになっている。
ぜひ体験しに来てください。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前キッドギャラリー(3.20)
「沈黙の朗読」に「音楽瞑想」がくわわり、来場の方にある種の「体験」を提供する、まったくあたらしいハイブリッドなパフォーマンスとなります。

2015年2月25日水曜日

キッド・ギャラリーのピアノ

キッド・アイラック・アート・ホールの上には、3階と4階がぶちぬきになった広いギャラリースペースがある。
来月・3月20日にここで「沈黙[朗読X音楽]瞑想」という公演をおこなう。

このギャラリースペースにアップライトのピアノがはいると聞いたのは、つい先月・1月末のことだった。
このホールでは私も何度か、現代朗読や、音楽と朗読・ダンスのパフォーマンス公演をおこなっていたし、地下のブックカフェ〈槐多〉でも連続ライブをおこなっていた。
しかし、いずれもピアノがなかったので、楽器は持ちこみだった。
デジタルピアノやシンセサイザー、あるいはそれらに音源をしこんだMacをつないで音出ししたり。

それでもけっこうおもしろくやれるし、空間自体がおもしろいので、不満はなかった。
しかし、ピアニストにとってやはり生ピアノは特別なものだ。
魚をさばくのに家庭用の万能包丁でもやれないことはないけれど、やはり出刃包丁や刺身包丁があったほうがいい。
そのくらいちがう。
この比喩はピンとこない?

じゃ、もういっこ。
りんごをつかむのにマジックハンドと素手でやるくらいちがう。

さっそく行ってみて、試し弾きさせてもらった。
ピアノ自体は古いが、状態は悪くない。
よく鳴る。
しかし、それ以上にすばらしいのは、ギャラリーの音響だ。
音空間として非常におもしろい。
ここでどんな音を出せるのか、ましてや「沈黙」と「瞑想」というアプローチの音だ。
大変楽しみになってきた。

そのとき記録で撮った映像を公開しておく。
空間の響きのおもしろさの100分の1くらいは伝わるかもしれない。
こちらをご覧ください。

「沈黙[朗読X音楽]瞑想」公演@明大前キッドギャラリー(3.20)
「沈黙の朗読」に「音楽瞑想」がくわわり、来場の方にある種の「体験」を提供する、まったくあたらしいハイブリッドなパフォーマンスとなります。


2015年2月24日火曜日

共感的コミュニケーションがもっとも必要な人々

先日、三軒茶屋のカフェ・オハナで共感的コミュニケーションのワークショップをおこなっていたときのことだ。
カフェ・オハナではほぼ隔月のペースで、この三年間、参加者が少なくても多くてもずっと私のワークショップを開催してくれている。
オーナーの藤田さんご夫妻とご参加いただいたみなさんに心から感謝している。

すべての人の言動や感情は、その人が大切にしていること(ニーズ)にもとづいている、という話をしていたと思う。
「ここにいるみなさんもなにかニーズがあってここに来ているわけです」
と私はいった。
それにつづけて、
「私にもニーズがあってここに来ています。たとえば、みなさんの学びに貢献したい、参加してくれる人とのつながりを大切にしたい、お店に貢献したい、自分の学びや成長のニーズもあるし、能力を発揮してだれかのお役に立ちたいというニーズもある。ほかにもたくさんあるかもしれませんね」
というような話をした。
そしてこのところなんとなく、ことあるごとに思いつづけてきたことを、みなさんにつたえた。
「私には共感的コミュニケーションにうまくノリきれない人、NVC難民といえるような人のお役に立ちたいという気持ちが、とくに強くあるんですよね」

私の共感的コミュニケーションの勉強会だけでなく、そのベースとなっているNVCのワークショップに参加している人のなかで、その原理はよく理解できるし、プロセスもすぐれたものだと思うけれど、どうもそれを使うことには自信が持てない、ノリきれない、なんとなく距離を感じてもやもやしてしまう、という感じの人をときおり見かける。
私にもそういう気持ちのときがあった。
一時はNVCから離れて、捨ててしまおうと思ったときもあったくらいだ。

そこからなんとかNVCの世界にもどってこれたのは、公認トレーナーであるホルヘ・ルビオという人に会うことができたからだった。
彼はだれよりもユーモアに満ち、自分のニーズに忠実で、ときに子どものように無邪気で、奔放で、しかしそのプレゼンスのある包容力をもってどんな人とも深いつながりを作ってしまう人だった。
あまりに型破りな存在に、私は「こんなんでもいいんだ」と安心するとともに、勇気づけられ、NVCの世界にふたたびもどっていくことになった。

私がめざしているのは、そういう存在になることだ。
ホルヘのコピーをめざしているわけではなく、私なりの方法でNVC難民を救えないかとかんがえているのだ。

私がオハナで「NVC難民を救いたい」といったとき、何人かの顔がパッと明るくなったのを見た。
それは私にとって「手ごたえ」といっていい反応だった。
ここに私の存在理由がある、と思った。
NVCでは「意味のニーズ」といったりする。

NVCを学んでいる人たちのグループには、一種独特の空気感がある。
そのなかにはいってしまえばまったくわからなくなってしまうのだが、私のようにいったんそこから離れようとしたとき、その空気が見える。

ひとつ。
NVCを学んでいる人たちの多くが、英語に堪能。
バイリンガルか、留学経験があるか、帰国子女か、混血だったりする。
もともとマーシャル・ローゼンバーグの『NVC』という本は英語であり、安納献くんらの労によって日本語に翻訳されて出版されるまで、英語を読める人しか接することができなかった。
いわばNVCの教科書といっていい本だ。
英語に苦手意識があるネイティブ日本人には、なかなかとっつきにくい面があった。
英語になんの抵抗もない人にはおそらく想像もできないだろうが、そこには一種、複雑でねじれた辺境感情がある。

ひとつ。
上記にも関係があるかもしれないが、NVCを学んでいる人たちはみんな、学がありそうだ。
実際に高学歴の人が多い。
私立公立を問わず、有名大学を卒業し、さらには大学院を出たり、あるいは留学経験があったりして、私のように最終学歴が高卒というような人間にはまぶしく感じる。
当然、知的職業についている人も多く、大学を含む教師だったり、なにかのトレーナーだったり、カウンセラーだったり、大企業の管理職だったり、あるいは大企業を早期退職して自分で起業した人だったり、アーティストだったり。
零細企業の平社員だったり、お店の店員だったり、アルバイターだったり、専業主婦だったり、といった人は参加するのに勇気がいる。

ひとつ。
お金に不自由していなかったり、時間的な余裕がある人が多いみたいだ。
NVCにかぎらないと思うが、昨今の自己啓発系のセミナーやワークショップは高額な参加費が必要なことが多い。
NVCのワークショップはかなり配慮されているが、それでも毎月の家賃や光熱費の支払いにもきゅうきゅうとしているような人には、気楽に出せる金額ではない。
それにも増して、日々の糧を得るために遊ぶ時間どころか寝る間もおしんであくせくしている人にとって、自分のための学びの時間を取ることすらままならないということがある。
NVCのワークショップに出られる、というだけでうらやましい人たちなのだ。

さまざまな障害や気後れ、敬遠感を持っている人たちにこそ、共感的コミュニケーションが必要であると私は感じている。
だからこのような「難民」の人たちが気軽に参加できる、そしてまた参加してみてもいいなと思わせるような条件や工夫ができないだろうか、ということを、このところずっとかんがえつづけている。

※2月の羽根木の家での共感・声カフェは、あさって・2月26日(木)19時からです。
 詳細と申し込みはこちらから。

2015年2月23日月曜日

バンドのボーカルになったので歌がうまくなりたい(ボイスコーチング)

私がおこなっているボイスコーチングは、ボイストレーニングとはちがうので、ボーカル・トレーニングのようなことはやらないのだが、ときには音楽的アプローチをもちいることもある。
私は声楽家ではないが、音楽家ではあるので、音楽的な知識や経験が役に立つことがある。

先日、表題のようなニーズが持ちこまれたので、いっしょにいろいろやってみた。

歌をうたうにせよ、しゃべるにせよ、ひと前でなにか表現するとき、もっとも重要なのはその人の身体性である。
歌が上手になりたいという、そのスタート地点は、音程や発声よりも呼吸や姿勢、そして身体の全体がいきいきと参加しているかどうか、というところになる。
そこに目を向ける感受性を作ったうえで、ディテールに向かわなければ、その人らしい表現にはなかなかなりにくい。
人まねにはすぐになれるかもしれないが。

私がおこなっているボイスコーチングのほんの一場面だが、記録映像から紹介したい。
どんな雰囲気でやっているかはご覧いただけると思う。
30秒くらいの抜粋映像、こちら

※Skypeを利用したリアルタイムでのオンラインボイスコーチングをおこなっています。どなたもまずは気楽に無料相談を、こちらから。

2015年2月22日日曜日

【YouTube】朗読・ダンス・ピアノ「夜と朝をこえて」@ビッチェズ・ブリュー

2015年2月20日、金曜夜。
横浜・白楽のライブスポット〈ビッチェズ・ブリュー〉でのライブ「白楽ないと」で、現代朗読の野々宮卯妙と即興ピアノの水城ゆう、そしてコンテンポラリーダンスの菊地敦子(きくあつ)によるパフォーマンスがおこなわれました。
朗読テキストは水城ゆう作「夜と朝をこえて」。

終わってからBBのオーナーの杉田さんも来場者も「いやーびっくりした」と漏らしたおどろきのパフォーマンスとなりました(本人たちはまったくそんなつもりはなかったのだけれど)。
全編ノーカット版と短縮抜粋版を用意しました。
お急ぎでない方はぜひともノーカット版を最後までご覧ください。

ノーカット版はこちら
抜粋版はこちら

福井県立病院・初夏のピアノコンサートのお知らせ(5.11)

ご好評をいただいている福井県立病院でのソロピアノ・ミニコンサートのお知らせです。
どなたもよくご存知の日本の冬の唱歌や童謡などの懐かしいメロディーを中心に、水城のオリジナル曲もまじえ、自由なアレンジでお送りする予定です。
どなたも自由にお聴きいただけます。

◎日時 2015年5月11日(月)13:30〜14:30
◎場所 福井県立病院受付ロビー(エントランスホール)
    福井市四ツ井2-8-1
◎料金 無料

福井は私のふるさとですが、活動拠点を東京に移して以来、福井で演奏する機会はあまりありません。
今回も貴重な機会を大切にしつつ、みなさんとのトークを交えた気軽で楽しいコンサートにしたいと思っています。

ちなみに水城ゆう最新CDはこちらから聴けます。
ダウンロードしなくても全曲試聴できます。

また、カルメン・マキさんの最新3枚組CD「Good Times, Bad Times ~ History of Carmen Maki」に、私がテキストを提供し、マキさんの朗読と私のピアノで共演した「A Red Flower」が収録されています。
とても聴きごたえのあるアルバムです。
私が書いたレビューはこちら

3月のライブ「白楽ないと」@横浜白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉(3.18)

横浜・白楽のジャズスポット〈ビッチェズ・ブリュー〉で、水城ゆう(ピアノ)と現代朗読の野々宮卯妙がコアとなっておこなう朗読と音楽のライブセッション、2015年3月の開催は3月18日(水)です。

魅力的なゲストプレーヤーも参加予定です。
朗読と音楽のセッションのほか、ピアノソロ演奏も予定しています。
どなたも気楽にお越しください。

◎日時 2015年3月18日(水)19:30開場/20:00開演
◎場所 横浜・白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉
  横浜市神奈川区西神奈川3-152-1 プリーメニシャン・オータ101
  東急東横線・白楽駅下車 徒歩5分
◎ミュージックチャージ 1,500円(1ドリンク付)

予約先:ビッチェズ・ブリュー 電話:090-8343-5621 (杉田直通)
または現代朗読協会お問い合わせ・予約フォームからお問い合わせ内容を「公演・ライブご予約」を選び、メッセージ欄に「ビッチェズ・ブリュー」と明記してください。

2015年2月20日金曜日

音楽瞑想アルバム「Music Meditation Vol.2 major cold」配信スタート

2015年元旦から毎日配信している「音楽瞑想」の曲をリマスタリングして、順次アルバムにしていく計画の第2弾「Music Meditation Vol.2 major cold」の音楽アルバムを配信公開しました。
こちらのサイトからどうぞ。

収録曲は次のとおり。
全曲、水城ゆうのピアノソロ演奏です。

 1. bark (2:53)
 2. echo (2:36)
 3. reflection (1:56)
 4. arabesque (1:47)
 5. anger (1:53)
 6. stagger (1:36)
 7. sword (1:28)
 8. net (1:38)
 9. hammer (2:20)
10. coil (2:37)
11. pour (2:51)
12. tremble (2:08)
13. pot (2:33)
14. hatchet (2:13)
15. graduate (2:21)

世界らん展、ピアノキッド

東京ドームで開催中の世界らん展に行ってきた。
毎年この時期にやっていて、これで3回めか4回めになるはずだ。
今年は幸さんが付き合ってくれた。
毎年、だれかが付き合ってくれる。
ありがたいことだ。
らん展にひとりで行くのはちょっと寂しくてつらい。
けっこうハードだしね。

今年はこれまでよりずっと人出が多かった。
日程のせいだろうか。
そして、これは毎年のことだが、年齢層の高いこと。
平均年齢、ざっと見回して、70歳。
私なんか若輩者もいいところだ。
幸さんなんか最年少間違いなかった。

混雑していたけど、楽しかったな。
連れがいて、らんに不案内だったりすると、いろいろと解説してあげたりして、こちらも楽しい。
今年もめずらしいらんをたくさん観ることができた。
そして例年のごとく、格安のらんをふた株ばかり入手して、満足。

翌日は明大前のキッド・アイラック・アート・ホールに行き、3階と4階の吹き抜けのギャラリーに搬入されたばかりのピアノを見た。
古いYAMAHAのピアノだが、状態は悪くない。
そしてなにより、ギャラリースペースの響きがすごい。
下のホールより響く。
残響が長いので、ごちゃごちゃした曲の演奏にはまず向かない。
私がやっている音楽瞑想やディープ・リスニングにぴったりの空間とピアノだ。

さっそくここでやるイベントの日程の打ち合わせをした。
「朗読[沈黙×瞑想]音楽」というものを毎月、定期的にやろうとということになった。
来月からスタートする。
とても楽しみだ。

というようなこととは別に、今夜は白楽〈ビッチェズ・ブリュー〉でライブ。
ピアノの私、現代朗読の野々宮卯妙のほかに、歌手の永倉秀恵やげろきょメンバーも遊びに来てくれることになっている。
席には余裕がたっぷりありますので、どなたさまもどうぞお越しください。
ご案内はこちら

2015年2月19日木曜日

NVC難民救済計画発動

昨日の夜は隔月で開催している三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での共感的コミュニケーションのワークショップ(勉強会)だった。
日経から出ているマーシャル・ローゼンバーグの『NVC』を読んで参加したという方がふたり。

トランジション世田谷 茶沢会のメンバーのアーチさんも参加してくれた。
アーチさんもよく、味噌作りのワークショップなどをオハナで開催している。
何度か共感的コミュニケーションの勉強会に参加し、またNVCの公認トレーナーのワークショップなどにも参加したことがあるのだが、いまいち乗りきれていない(笑)。
その感じは私にはとてもよくわかる。

共感的コミュニケーション(NVC)は人によってはとっつきにくいところがあったり、練習がすすんでくると壁にぶちあたったりすることがしばしばある。
そんなことがあって、勉強会から遠ざかってしまったり、学ぶことをやめてしまったりする人がたくさんいることを、私はよく知っている。
私自身が何度かそのような危機を経験しているからよくわかるのだ。

また、ワークショップに参加する時間や費用が捻出できなかったり、日々の生活や仕事や人間関係に追われて余裕がなかったりする人も多い。
そういう人にこそ共感的コミュニケーションを身につけてもらいたいものだし、そのことによって人生が開けることだったあるだろうと思う。

こういった人々のことを、私は最近「NVC難民」と呼んでいる。
この人たちにわかりやすくNVCをとどけること、こういった人たちにも参加しやすい勉強会を開催すること、これが私の仕事だろうと感じている。
そのための工夫を、今後いろいろとやってみるつもりだ。

このようなことに興味がある人はいるだろうか。
すくなくともアーチさんは興味を示してくれたようだ。
ひとりでもいれば計画を発動したい。

2015年2月18日水曜日

音楽瞑想アルバム、配信スタート「minor cold」

今年2015年の元旦から毎日配信している「音楽瞑想」の曲をリマスタリングして、順次アルバムにしていく計画がいよいよスタートした。

ひとつのアルバムをどういう「くくり」にしようかとかんがえて、だいたい15曲くらいでひとまとめにするとなんとなく具合がいいので、日本の「節季」をアルバムタイトルにしてみようと思いついた。
最初は「小寒」つまり「minor cold」で15曲はいっている。
これを Bandcamp という音楽ダウンロードサイトから配信することにした。

500円払っていただければ、waveファイルの劣化なし原音でそのままダウンロードすることができる。
決済しなくても全曲そのまま聴くこともできる。
また、500円以上の金額を自由に設定して、アーティスト・ドネーションとして寄付することもできる。

昨日はその作業をしていて、まだアルバムの体裁もきちんと整わないうちにいちはやくuploadされたのを見つけて寄付してくれた友人がいて、ちょっと感激した。
アルバム「Music Meditation Vol.1 minor cold」はこちらから聴けます(and 買えます)。

収録曲は次のとおり。
全曲、水城ゆうのピアノソロ演奏です。

 1. ice (2:12)
 2. cave (1:12)
 3. fall (1:32)
 4. blue (2:19)
 5. tangle (1:09)
 6. runner (1:43)
 7. tower (1:26)
 8. line (4:54)
 9. tree (2:18)
10. bell (2:35)
11. eye (1:43)
12. circle (1:51)
13. chair (2:32)
14. search (2:02)
15. city (2:54)

2015年2月17日火曜日

3月のトランジション茶沢カフェ@羽根木の家(3.17)

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トランジション茶沢カフェ with オーガニックランチ
~ 持続可能な世田谷のことを話そう ~

日時:2015年3月17(火)12〜15時(12:00~ランチ/13:00〜カフェ)
会場:羽根木の家(羽根木1-20-17 最寄りは新代田駅または東松原駅)

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イギリスの小さな街から生まれ、
日本の各地でもはじまっている
トランジション・タウン運動。

自分たちの住むまちを自分たちの手で
持続可能なまち・暮らし・社会へと
移行(transition)していこうという草の根運動です。

世田谷では2010年1月に立ち上げをし、
食とエネルギーの地産地消を目指し、
手づくり太陽光パネルの制作WSや利活用、
エネルギーシフトのシンポジウム、
世田谷育ちの野菜での地域マルシェや街歩き、
くるくる交換会などを開催したりしています。

地域を知ること、地域での出会い、
それぞれの顔の見えること、お互いを知ることを大切に、
他団体や行政ともつながり活動をひろげ、
昨年初夏には、市民協同発電所設立の
新たな活動も生まれています。

エネルギーシフトや食と農、地域流通の問題のほか、
人間関係のトランジションでもある
コミュニケーション・シフトの勉強会もおこなっています。

持続可能な世田谷のこと、ゆるやかにいっしょに
お話しできたらと思います。

トランジション・タウンのことを知りたい、
こんなことできたらいいなぁ、地域で仲間をみつけたい、
なんでもざっくばらんに、ワクワク、一緒にお話しませんか?

はじめての方の参加も大歓迎です♪
みなさまの参加をお待ちしています。

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日時:2015年3月17日(火)12〜15時(12:00~ランチ/13:00〜カフェ)
会場:羽根木の家(羽根木1-20-17 最寄りは新代田駅または東松原駅)

参加費:ランチからの参加2,000円
  カフェのみの参加は500円(会場費・お茶代として/その他持ち込み自由)

◆ スケジュール
12時 ランチ
13時 トランジション・カフェ
15時のカフェ終了後はテーマごとの分科会などでの居残り自由。
17時くらいまでゆるりと開場しておきます。
(午前10時から共感カフェも開催してます。よろしければそちらもどうぞ)

お問い合せ・予約はこちらのフォームから。

主催:トランジション世田谷 茶沢会
協力:現代朗読協会「羽根木の家」

※当日の連絡は現代朗読協会「090-9962-0848」にお願いします。



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2015年2月16日月曜日

ヴァルター・ツィンマーマン(中村和枝)を聴いた

現代音楽のピアニストで、現代朗読の野々宮や私とも親しくしていただいている中村和枝さんのコンサート「ヴァルター・ツィンマーマンを聴け!」を、両国門天ホールまで聴きに行ってきた。

ホールといっても小さな会場で、そこに作曲家のツィンマーマン氏夫妻も来られていたし、高橋アキさんら演奏家や現代音楽の作曲家、評論家の方々もお見えになっていて、はじまる前から熱気あふれる雰囲気だった。

プログラムは全曲、ヴァルター・ツィンマーマン氏の曲で、前半は小品を4曲、全部で20分くらいの演奏。
そのあとすぐに休憩があって、来日されているツィンマーマン氏による自曲解説。
そして後半——というよりメイン部分は、大曲「Biginner’s Mind(1975)」の作曲家の指示によるジェスチャー付きのオリジナル版世界初演。

ツィンマーマン氏の曲は、私は初めて聴いたのだが、現代曲にしてはどこか懐かしさ・郷愁を感じさせるようなところがあって、これはなんだろうと探っていて、たぶん1950年代くらいの現代音楽が欧米で急速に進展し、そして拡散していった時代の空気ではないかと思いあたった。
それを、現代の、いまの時間を生きている中村和枝さんが、いきいきと生々しい所作で演奏している、そこのところが秀美であったし、繊細さと大胆さ、単純さと複雑さといった、多様な表現がひとつになっていていとおしく貴重に思えた。

おこがましくも、私の毎日配信している即興演奏「音楽瞑想」にも似た音がときおり現れ、勝手な親しみを覚えた。
それにしても、これだけの大曲・難曲を発表する準備というのは、並大抵のことではなかったことだろう。
また、けっして最高とはいえない門天ホールという演奏環境のなかで、最後まで集中して楽しく演奏された中村和枝さんのその才能と努力(も才能のひとつか)にたいして、絶賛、敬意を表したい。
私も見習いたいといいたいところだが、無理。

2015年2月15日日曜日

2月の羽根木の家・韓氏意拳講習会、終了

昨日は毎月恒例の内田秀樹準教練による羽根木の家での韓氏意拳初級講習会だった。
私は通常、中野の新井区民活動センターなどで開催される講習会に行くことが多いが、月に一回、自分の本拠地である羽根木の家で開催されるこの講習会はありがたい。

昨日は午前中に体験参加可のクラス、午後は会員クラスが開催された。
午前中は初めて韓氏意拳に触れる人もいたので、初級教程の形体訓練、平歩站椿とじっくりと進められて、私もいろいろなことを再確認したり、再発見したりして、深い練習ができた。

昼休みには内田先生からいろんな話をうかがったり、マンツーマンで東南アジア武術のデモンストレーションを見せてもらったりと、興味深いことがてんこ盛りだった。

午後のクラスはいつものように女性が多く、なんとなく柔らかい雰囲気で、しかし会員クラスなので内容はかなり深いものとなった。
平歩站椿から摩擦歩、技撃椿、重心転換へと進みながら、身体への注目・集注の深さを要求された濃い練習となった。

マインドフルに自分自身の身体と向きあう濃厚な時間だったが、この講習の時間だけでなく、これ以降の日常のなかでも自主的に稽古したり自分の身体に注目したりといったことの手がかりをつかむ重要な練習になったと思う。
深い集注のために終わったときにはくたくたになるのだが、それはけっして不快な感じではない。
自分の能力を使いきることに近づくような、充実した感触が残る。

来月の羽根木の家での韓氏意拳講習会は、3月22日(日)の予定です。

プライベートな音楽瞑想会を開催してもらった

先日、友人であるSHOWさんの家に遊びに行ったとき、居間にアップライトのピアノが置いてあったので、ちょっと見せてもらったら、それがきっかけで「音楽瞑想会」をそこで開催することになった。

知りあい10人くらいに声をかけてもらって、数日前に開催した。
お茶やスープをいただきながら、すこし呼吸法をやったり、ディープリスニングというワークをやったり(ひさしぶりだった)、とてもゆったりした時間をすごしたあと、後半はメインの音楽瞑想をおこなった。

部屋を真っ暗にしてもらって、私がピアノを弾いた。
ポツン、ポツンとまばらな音からスタートして、すこしずつイメージが広げていくように演奏する。
即興演奏なので、メロディなどの展開が予想できず(私ですらできない)、言語思考を喚起するチャンスが少ないので、一種の誘導瞑想となる。

古いものだが、とてもよく鳴る素敵なピアノで、弾いていても気持ちよかった。
終わってから、またみなさんと静かにおしゃべりしたりして、豊かな時間をすごさせてもらった。
解散してからもフェイブックなどでフィードバックをもらったのだが、みなさんにも喜んでもらえたようで、またやりたいね、ということになっている。

※ 音楽瞑想のライブセミナーの詳細についてはこちらをご覧ください。

2015年2月13日金曜日

言語思考と感覚体(瞑想はなぜ効果的か)

別項(音楽瞑想とはなにか)で瞑想の目的と効果を書いた。
それはひとことでいうと「言語思考を手放し、クリアな感覚体そのものになること」であった。
では「クリアな感覚体」とはどういうものなのか。

ヒトという生物種の最大の特徴は、大脳皮質を極端に肥大させてきた進化過程にある。
もっとも、ヒト以外にも大型哺乳類——とくにイルカやクジラの仲間——にも大脳皮質を発達させた生物種はある。
では、さらにいえば、ヒトはその大脳皮質と発声発音器官の変化によって「言語活動」を飛躍的に発達させた、ということが特徴だといえよう。

言語活動は文明の発展、社会の変化をもたらし、いまや地球をくまなく覆いつくすまでに活動範囲を広げている。
しかし同時に、言語活動によってヒトはさまざまな苦しみを抱えることにもなった。

言語はコミュニケートするために使われるほか、我々個々人が世界を把握し、理解するためにも用いられる。
言語によって世界を分節化・細分化し、そのことによって周囲の世界を詳細に理解しようとする。
たとえば科学の発展というのは、世界を限りなく細分化し、ネーミングし、分析することによっておこなわれるといってもいいだろう。

そうやって人は他の生物種にはない文明をきづいてきたのだが、言語活動にかたよりすぎた文明生活のなかで、本来ヒトが持っているはずのすぐれた感受性や表現能力をいちじるしく損なっている。
大脳は言語活動だけでなく、さまざまな情報を処理している。
ヒトはすぐれた感覚体であり、無限といっていい情報が感覚器官(神経系)を通してたえまなく脳に送りこまれている。
それをいちいち言語処理しているのでは、まったく追いつかないのだ。
むしろ感覚情報の処理においては言語活動は邪魔であるといえる。

ヒトが外界から、あるいは自分自身の内部から、無数の情報を受け取り、処理し、そのことに反応し、リアルタイムに表現していける能力。
たとえば武術。
敵が打ちかかってきたとき、いちいち言語思考で対応策をこうじているのでは、まったく間に合わないのだ。
たちまち倒されてしまう。
言語思考ではなく、感覚器官が受け取った情報にもとづいた適切な対応を脳が適切に処理判断して、全身で表現する、そのことによって身を守ることができる。

個々の能力——たとえば嗅覚——を取りあげて、ヒトは犬より劣っている、ということはできる。
しかし、総合的な処理能力においてヒトほどすぐれた感覚体とないといっていいのではないだろうか。
残念なことにそれは言語思考によってしばしば阻害されている。

自分がすぐれた感覚体であることに気づき、その能力を発揮したり、集中力を取りもどしたりするための方法のひとつが、瞑想である。
質のよい瞑想のあとは、全身が生き生きと活力に満ち、集中力と処理能力が格段に向上しているのを感じる。
本来の感覚体としてのヒトの能力が引きだされてくるのだ。

ただ、問題は、質の高い瞑想はとてもむずかしい、ということだ。
修行僧でも何年もかかって、それでも純粋な瞑想に達することはむずかしいという。
ましてや雑然とした毎日に明け暮れている我々生活者にとってはどうなのか、想像に難くない。

そんな普通人にも比較的容易なのが誘導瞑想で、これはだれかの言葉で誘導してもらい、自分の体感覚に注意を向けていくことで、結果的に言語思考の世界から離れていくという方法だ。
私はこの誘導瞑想を音楽を使っておこなう。
それが音楽瞑想だ。
とても好評をいただいている。

今夜も友人が自宅で十数人のこじんまりした音楽瞑想会を開いてくれるので、行ってピアノを演奏してくる。
演奏する私自身も深い瞑想にはいっていく。
とても楽しみなのだ。

※ 音楽瞑想のライブセミナーの詳細についてはこちらをご覧ください。

2015年2月12日木曜日

雪の北陸から東京戻り、映画「はての島のまつりごと」


日曜日から水曜日まで帰省していた北陸は、記録的な豪雪に見舞われた。
日曜日・8日の午後から降りはじめて、水曜日・11日未明まで断続的に降りつづけた。
風景は写真のとおり。
まあ美しいといえば美しいのだが、そこで生活しているとなると風景の美しさばかりに気を取られているわけにはいかない。
壮絶な雪かきが待っている。

相当強力な寒波が流れこんだせいか、降りはじめの雪はサラサラとした粉雪の近く、北海道か 山岳の雪のように軽かった。
雪かきも楽だったが、後半はいつもの水分をたっぷりと含んだ重い雪に変わった。
9日から10日にかけては海沿いでも相当積もり、敦賀ではトラックなど200台がひと晩中立ち往生をくらったとのこと。

水曜日には 寒波も去り、雪もあがったので、予定どおり小松から羽田まで飛行機でもどることができた。

夜は三軒茶屋の〈カフェ・オハナ〉に行き、映画「はての島のまつりごと」の上映会に参加する。
いまの日本のあちこちで起こっているできごとの縮図のような映画で、いろいろなことをかんがえさせられた。
終わってから、監督の土井鮎太さんとのトーク会があり、参加者の感想や意見交換があった。
これもさまざまな意見や情報が出て、有意義だった。

音楽瞑想とはなにか

瞑想の効果は最近いろいろいわれているのでここでは書かないが、その目的はひとつである。
私なりのことばで表現すると、
「言語思考を手放し、クリアな感覚体そのものになること」

ひとことで「言語思考を手放す」といっても、これがなかなかむずかしい。
相当に修行を積んだ瞑想の達人であっても、ちょっと気を抜くとすぐに「言語思考」が頭のなかにわいてくる。
そもそも「言語思考を手放さなきゃ」というかんがえそのものが言語思考なのだ。

言語思考を手放すためにさまざまな工夫があるが、なかでももっともよく使われている有効手段として、「自分の身体の感覚に注目する」というものがある。
とくにそのなかでも、呼吸に注目する方法はだれでもアプローチが容易で、多くの瞑想法に取りいれられている。
しかしそれでもなかなか言語思考を完全に手放すのはむずかしい。
呼吸に集中しているつもりが、さまざまな言葉やかんがえが次々とわいて出てくる。
これはもう、大脳が発達したヒトの宿痾といってもいい。

音楽瞑想では言語思考を手放す手段として、音による誘導をもちいる。
音に注目して「いまここ」の自分のありようにアプローチしていく方法として、音楽瞑想(music meditation)はかなり簡便で有効な方法だ。
基本的に音はなんでもよく、聴感覚から感覚体としてのヒトの身体を浮かびあがらせるのだが、聴き知っている音楽やメロディはやや問題がある。
聴きおぼえのあるメロディを耳にしたとき、人は反射的に記憶を想起してしまい、思い出やそれにともなったイメージ、エピソードなどと結びつけてしまう。
思い出やエピソードをたどっていって、その瞬間の音を味わうことからどんどん離れていってしまう。
もはや耳は音を聞いておらず、頭のなかは言語思考でいっぱいになってしまう。

知らないメロディだとこれが起きにくい。
集中して聴く必要はあるが、聴感覚の味わいや想起されるイメージを追うことで言語思考が起こりにくくなる。
感覚体としての自分自身の存在があらわになり、瞑想効果が深まる。
音楽瞑想ではこれをめざす。

演奏する側もなにか特定のメロディやハーモニーをねらわず、ただその瞬間に生まれてくる音に身体を開放し、予定されたものではない音展開をたどっていく。
演奏者もまた瞑想しているといえる。

このようなミュージック・メディテーションの会を私は断続的に10年近くつづけてきたが、最近また開催する機会が増えてきたのは、社会情勢の要請によるものだろうか、あるいは別の理由があるからだろうか。
それはともかく、明日もごく小さなプライベートな瞑想音楽の会を開催することになっている。
個人宅のアップライトのピアノだが、ピアノがあればどこでも音楽瞑想の会を開くことができる。
明日も十数人だけの会だが、楽しみだ。

ピアノをお持ちで、あるいはピアノがある場所を使えて、音楽瞑想に興味がある方は、出張のライブセミナーを開催するので、どうぞ気軽にお問い合わせください。
音楽瞑想のライブセミナーの詳細についてはこちらをご覧ください。

2015年2月9日月曜日

福井県立病院でピアノを弾いてきた

3か月に1回のペースで恒例になった福井県立病院でのピアノコンサートを、今日おこなってきた。
大きな病院で、ベッド数は1000床近くあると聞いている。
そこの大きな吹きぬけのエントランスホールにグランドピアノが置いてあり、とても気持ちよく音が響くのだ。

2012年からつづけているこのコンサートも、今日で9回めか10回めかになっているはずだ。
行ってみると、パソコン通信(!)時代からの知り合いの佳子さんが、わざわざ聴きに来てくれていた。
近況をいろいろ聞かせてもらう。

ほかにも、いつも来てくれるおじさんがいて、リクエストを受けたり、若い看護師さんに付き添われて聴きに来てくれた点滴中の患者さんたちとちょっと話をしたり、軽く(口の)ウォーミングアップ。

1時半に演奏スタート。
最初は聴衆はまばらだったが、いつものように演奏がはじまると集まってきてくれた。

今日うれしかったのは、最初MCなしでいきなりはじめて、即興曲をやって、そのまま「冬景色」を演奏しおえたら、いきなり大きな拍手をいただいたことだった。
ほぼ一時間の演奏だったが、みなさんとても熱心に聴いてくれ、なかには知っているメロディでいっしょに歌ってくれる人もいたりして、楽しかった。
また、最後には拍手を二度にわたっていただいて、おひらきにするのがなごりおしかったほどだ。

事務局の 方たちからもとても丁重に迎えていただいて、ありがたく感じている。
近いうちに記録映像の抜粋をYouTubeで配信する予定。
次回のここでのコンサートは5月11日(月)のおなじ時間・13時半からの予定となっている。

2015年2月8日日曜日

東京⇒北陸、ピアノコンサート(福井県立病院・都立広尾病院)

今日は北陸の実家への移動日。
羽田空港からJAL便で小松に飛ぶ。
2月だというのに寒さはあまり厳しくなく、フライトもおだやか。
機内はガラガラ。

明日は福井県立病院で恒例のピアノコンサートをおこなう。
たぶん明日で10回めくらいになるだろう。
2012年の秋から3か月に1回のペースで演奏してきた。
いつも日本の季節の唱歌を、あらかじめなにも準備しない即興アレンジで演奏している。
だから、弾きはじめたあとどのように展開していくのか、自分でもわからない。
明日もそのようになるだろう。
詳細はこちら

病院でのボランティアコンサートといえば、来月は東京都立の広尾病院で演奏することになった。
「ハートフルコンサート」というネーミングで毎月だれかが来て演奏したり歌ったりしているようで、私はこれが初となる。
どんな場所なのか、どんな人が聴いてくれるのか、どんな反応があるのか、どんなピアノなのか、楽しみなのだ。
これの詳細はこちら

東京の人に福井まで聴きに来てください、とはなかなかいえないが、広尾だったら「気がむいたら来てね」といえる。
無料だし。
福井の人には「明日は気がむいたら来てね」といっておこう。

都立広尾病院でのハートフル(ピアノ)コンサート(3.20)

東京都立広尾病院でのボランティアコンサート「ハートフルコンサート」はこれが初となる水城ゆうのピアノ演奏のお知らせです。
どなたもよくご存知の日本の唱歌や童謡、ポピュラーソングに、水城のオリジナル曲もまじえ、即興アレンジで自由に楽しくお送りするミニコンサートです。
どなたも自由においでいただいて聴けます。

◎日時 2015年3月20日(金)16:15〜(30分程度)
◎場所 東京都立広尾病院 1階中央待合ホール
    渋谷区恵比寿2-34-10
    TEL:03-3441-1181(代表)
◎料金 無料

水城ゆう最新CDはこちらから聴けます。
ダウンロードしなくても全曲試聴できます。

また、カルメン・マキさんの最新3枚組CD「Good Times, Bad Times ~ History of Carmen Maki」に、私がテキストを提供し、マキさんの朗読と私のピアノで共演した「A Red Flower」が収録されています。
とても聴きごたえのあるアルバムです。
私が書いたレビューはこちら

福井県立病院・冬のピアノコンサートのお知らせ(2.9)

ご好評をいただいている福井県立病院でのソロピアノ・ミニコンサートのお知らせです。
どなたもよくご存知の日本の冬の唱歌や童謡などの懐かしいメロディーを中心に、水城のオリジナル曲もまじえ、自由なアレンジでお送りする予定です。
どなたも自由にお聴きいただけます。

◎日時 2015年2月9日(月)13:30〜14:30
◎場所 福井県立病院受付ロビー(エントランスホール)
    福井市四ツ井2-8-1
◎料金 無料

福井は私のふるさとですが、活動拠点を東京に移して以来、福井で演奏する機会はあまりありません。
今回も貴重な機会を大切にしつつ、みなさんとのトークを交えた気軽で楽しいコンサートにしたいと思っています。

ちなみに水城ゆう最新CDはこちらから聴けます。
ダウンロードしなくても全曲試聴できます。

また、カルメン・マキさんの最新3枚組CD「Good Times, Bad Times ~ History of Carmen Maki」に、私がテキストを提供し、マキさんの朗読と私のピアノで共演した「A Red Flower」が収録されています。
とても聴きごたえのあるアルバムです。
私が書いたレビューはこちら

2015年2月6日金曜日

2月の横浜共感・声カフェは定員いっぱいで開催した

今日は横浜まで行き、神奈川県民センターで毎月、兼久須美子さんが開催してくれている横浜共感・声カフェで講師として参加してきた。

今回はなぜか常連さん以外の方からの申しこみが多く、10名の定員いっぱいになって締め切ったほどだった。
常連のライパチくんが自主的に作ってあちこちに配ってくれているチラシを見て、来てくれた方もいた。
三軒茶屋〈カフェ・オハナ〉での会に参加してくれた方が友だちを誘って来てくれたり、羽根木の家での勉強会に参加した方があちこちのNVC関連のワークショップに参加してみて、今度は地元の横浜に来てくれた、という例もあった。

初めての方が何人かいらしたので、共感的コミュニケーションとはなにか、そもそも「共感」とはなにか、お互いのニーズを尊重しあえる人間関係とはどういうものなのか、という基本的な説明を最初に押さえてからスタートした。

参加者のおひとりがどう対処していいか悩んでいるという具体的な事例を取りあげて共感のプロセスをひととおり説明したあと、ふたりずつペアになってもらってお互いに共感的に聴き合う練習をしてもらう。
認知症の方との接し方、家族関係のもやもやなど、いくつか聴かせてもらって、みんなでかんがえる。

認知症の方にもそのときそのときのニーズがあり、「この人は認知症なのだ」というラベリングをはずしてその人のニーズを見ることが大切なのだということを伝えたのだが、その前にご本人に共感することをなおざりにしてしまった。
そのことをあとで野々宮から指摘され、ハッとなった。
まだまだ未熟なのである。

ともあれ、私がまいた種をきっかけに、よりレベルの高いNVCのワークショップにどんどん参加していかれる方がいるようだ。
そういった人たちを見送りつつ、私は「NVC弱者」のケアをできるかぎりやっていきたい。
そして横浜のメンバーも、ゆっくりながらも着実に成長してきているのが感じられて、うれしく思っている。
私にとっては大切な人たちなのだ。

次回の横浜共感・声カフェは3月3日(火)夜の開催予定です。

2015年2月5日木曜日

ウイルス性胃腸炎? ゼミ、音楽瞑想をアルバムに

数日前からなんとなく調子がおかしかったのだが、今朝ははっきりと胃腸の具合がよくなかった。
便がゆるく、胃のあたりに時々差しこむような痛みがやってきて、むかむかする。
最初はなんだろうと思ったが、ウイルス性の胃腸炎がこのような症状になることがある。
おそらくそれだろうと思って、とりあえず絶食。

午前中は現代朗読の基礎ゼミ。
調子が悪かったのだが、基礎トレーニングに付きあっているうちに、なんとなく回復してきた。
今日の基礎トレーニングは、朝も夜も、身体をぜんまいのハガネのようにしなやかに、柔らかく、しかも強靭にしならせる感覚をもってまとめ、そこから発声することを試みてもらった。
まったくクオリティが変わることにびっくりする。

午後はゼミがなかったので、こたつで横になって休む。
しばらく休んだら胃腸炎はかなりよくなった。
よくなったら、今度はお腹がすいてきた。
ここはがまん。

音楽瞑想の1月の前半の曲をアルバムにまとめるためにマスタリング作業をしていたら、春野さんがやってきたので、そのままCDに焼いてプレゼントする。
音楽瞑想はいまのところ毎日配信していて、2分から3分前後のみじかい即興演奏の曲がどんどんできてくる。
せっかくなのでアルバムにまとめようと思い、そのまとめかたをかんがえていた。
1か月単位でまとめると、CDにはちょうどおさまるか、はみでるくらいのボリュームになるのだが、いまの時代、 CDというメディアに尺にこだわる必要はない。

15曲前後を3、40分くらいにまとめてひとつのアルバムにすると、日本の節季のひとつにあたる。
たとえばいまだと「立春」という2月4日から18日までの15日 間・15曲分の節季にまとめることができる。
1年では24節季になる。
区切りがいい感じがして、私にはしっくり来るので、今日マスタリングしたのは1月1日から15日までの分を「小寒(minor cold)」としてみた。
さらに1曲ずつ、それぞれみじかいタイトルをつけて、アルバムにまとめてみた。

夜はオーディオブックゼミ。
「高密度朗読」について検証したり、基礎トレーニングをやったり。

終わってからあけみさんが、音読療法協会の活動についていくつか提案してくれて、とてもありがたくうれしかった。
彼女のような実務に有能な人が協会運営に協力してくれる気持ちがあるというのは、大変心強いことだ。
年頭になんとなく予感があったように、今年はいよいよいろいろなことがうれしい方向に動きつつあるように思う。

※現代朗読協会ではゼミや講座など、どなたでも気楽に体験参加ができるように窓を開いています。来週の体験参加できるイベントはこちら

昨日は韓氏意拳のハード稽古

昨日の夜は中野の新井区民活動センターまで行って、韓氏意拳の講習を受けてきた。
いやー、大変だった。

韓氏意拳をやりはじめてやがて2年がたとうとしているが、この武術の特徴として、ただ専念して自分に徹する、というものがある。
よくできた練習体系があって、それにそって初心者も熟練者も稽古をやるのだが、初心者は初心者なりに、熟練者は熟練者なりに自分と向かいあう稽古をする。

最初のころは自分と向かいあうといってもなにがなんだかわからず、ただ両手を上にあげるだけの「挙式」という仕草ですら困惑する。
むやみに手をあげても、指導者から制される。
しかし、いわれるままに自分の身体に注目することを試みていると、あるとき「それでよい」と指導者からオーケーを出される。
自分ではなにがよいのか、まるでわからない。

そんなことを繰り返していくうちに、練習の内容はしだいに深くなっていく。
すこしずつ自分がなにをやっているのか、どちらを向いているのかがわかってくる。
しかし、指導者に手をそえられると、あいかわらずダメだしと、よくわからないオーケーの連続だ。
それはそうで、指導者は参加者の進捗度合いに応じて、要求のレベルを変化させているのだ。
要求はどんどん高く(深く)なっていく。

韓氏意拳の稽古には終わりがないといわれている。
他の武術のように級や段位認定もないし、組手もない。
ただひたすら、自分に精度を問うていくしかない。

昨日は内田秀樹先生に指導を受けたのだが、内田先生はそう意識しておられたかどうかわからないが、私にとってはなにかいきなり注目・集注の深まりを要求され、それに必死についていこうとしていた。
ひとつの「式」が終わるたびに、汗が吹きだし、ドッと疲れた。
自分でもかつてない集注だったような気がしたし、いままで見えてこなかった自分の身体が見えたような気もした。

終わって帰路についたとき、駅の階段で膝の力が抜けてあやうく転びそうになったほどだ。
おもしろかった。
そして、見たこともない自分の身体が見えたことで、これからの稽古が楽しみになった。

※内田秀樹準教練による韓氏意拳の体験&初級講習会@羽根木の家は、2月14日の開催です。詳細はこちら

2015年2月4日水曜日

独立美容師に髪を切ってもらう、大豆を選別する

午前中に三軒茶屋まで行って、トランジション仲間で独立(フリーの)美容師の和食(わじき)ちゃんに髪を切ってもらう。
彼女は環境に配慮した美容師、という看板を掲げていて、トランジション活動をふくむ環境運動にゆるやかに関わっている。
その「ゆるさ」が好もしい。
なにごとも「運動」は激するとあまりよい結果を生まない。

今日のカットは「かっこよくできた」とのことで、自分のヘアスタイルに無頓着な私もちょっと気にいった感じになった。

髪を切ったあと、東北沢に移動して、やはりトランジションの仲間のアーチさんが北海道の畑で収穫した大豆の選別を手作業でやるのを手伝いに行った。
病気の豆、虫食いの豆、別の種類の豆など、いろいろ混じっているものをピックアップして、きれいな 豆だけを選別する作業を、目と手だけで黙々とやる。

こういう作業は私は嫌いではないが、現代社会の経済効率優先システムからは排除されてしまった。
それをふたたび社会のなかに取りもどしたいと、アーチさんは地道にがんばっている。
といっても、アーチさんもまた「ゆるさ」があって好もしい。
とはいえ、彼が取りくんでいる実作業そのものは、ゆるいどころではない、ハードな面があることは確かだ。
それを楽しんでやれるかどうかは、その人のタフさにかかっている。
そしてアーチさんはまちがいなく、タフな人のひとりだろう。

こういった人たちに会える「トランジション・カフェ」を、3月17日に羽根木の家で開催する。
午前中には共感的コミュニケーションの勉強会も開催する計画が進んでいる。

2015年2月3日火曜日

オーディオブック「半七捕物帳」の収録ふたつ

今日は午前中からひとり、午後にひとり、それぞれ岡本綺堂の『半七捕物帳』のオーディオブックの収録をおこなった。

アイ文庫では、オーディオブックの制作・販売・ポータルであることのは出版に協力して、現在、半七捕物帳60数編のコンプリートをおこなっている。
現代朗読協会のゼミ生を中心としたオーディオブック・リーダー(読み手)を総動員して、時間のあるかぎり収録をすすめている。

今日は坂口安吾「アンゴウ」や夢野久作「若返り薬」、あるいは新美南吉の小品のオーディオブックがすでに世に出ている矢澤亜希子が午前中から来て、半七捕物帳の「旅 絵師」の収録をおこなった。
また、午後は、宮沢賢治「注文の多い料理店」などですでに世に出ている唐ひづるが来て、半七捕物帳の「唐人飴」の収録をおこなった。
ただしこれはまだ出だしのみで、全編が終わったわけではない。

ふたりともオーディオブック・リーダーのための基礎トレーニングを毎日、地道につづけていて、リップノイズ、発音コントロール、呼吸の安定や持続力といった、読み手としてのベーシックな力を着実につけつつあって、収録していても楽しいし、今後がさらに楽しみなのだ。
土台の部分がしっかりしてくれば、あとはオリジナリティを発揮してどんどん伸びやかに表現していけるので、可能性が無限に生まれてくる。
私はその可能性を感じてわくわくしているのだが、読み手当人にはまだまだ苦しい段階がつづくようで、くじけそうになる人もいるようだ。
しかし、なにをどうすればいいのか、いまやはっきりとわかっているので、こちらを信頼してがんばってほしい、というしかない。

ともあれ、オーディオブックという形あるコンテンツが確実に完成していくのは、うれしいものだ。

※オーディオブックを収録するための専門的なスキルを、個人レッスンと現代朗読ゼミへの参加で身につける「オーディオブックリーダー養成講座」をおこなっています。詳細とお申し込みはこちら

2015年2月2日月曜日

音楽瞑想を33回分まで毎日配信できた

今年になってから毎日配信している「音楽瞑想(music meditation)」が、今日で33回めの配信となった。
いまのところ1日も欠かさず配信できている。
毎日欠かさず配信する、と決めているわけではないので、とぎれてもべつにかまわないのだが、なんとなくつづいている。

まだ1か月ちょっとなのだが、おもしろいもので、最初のころと音が変わってきているのを感じる。
最初のころは自分の引き出しのなかにある音楽的アイディアをとっかえひっかえ引っ張りだしてきたような感じがあるが、最近はそうではない。
ただピアノにすわって内側から出てくる音をただ邪魔せずに出てくるままにしておく、という感じがする。

そうすると、自分の弾きやすい感じ、パターン、調子といったものにかたよっていくんじゃないかと思うのだが、意外にもそうはならない。
あらためて思うのは、人間というのはたえず変化しつづける生き物で、ただ1日としておなじ状態はないのだな、ということだ。
自分の内側もたえず変化していて、それはまるで激しい水流のように流れている。
今日のいまこの瞬間の水をすくってみれば、まるでちがう音が聞こえてくる。

自分自身をあたかもひとつの物体のように、あるいはひとつのプログラムのように、不変で同一パターンで動いているかのように思うのは、大きな勘違いであることがわかる。
これも、毎日即興演奏を配信することでわかったことで、おもしろいなと思うのだ。

ところで、これまでピアノレッスンをおこなうとき、羽根木の家にはデジタルピアノしか置いてないのでそれを使っていたのだが、このたび、三軒茶屋のライブカフェ〈四軒茶屋〉がピアノレッスンのためにピアノを貸してくれることになった。
時間帯は制限されるが、グランドピアノが使えるので、レッスンは楽しくなることだろう。
興味がある方はお問い合わせください。

水城ゆうのピアノレッスン
即興演奏、オリジナルアレンジ、実用的な演奏方法などのためのユニークなノウハウを学べるピアノレッスンをおこなっています。