2016年1月2日土曜日

親兄弟との関係におけるファーストエイド

お正月で帰省している人も多いことだろう。
私もそうだが、両親や兄弟、親戚とつどってすごしている人がたくさんいると思う。

ひさしぶりの再会を祝って楽しくすごしているのはいいが、そのうち親から、
「おまえはまだそんなことをやっているのか」
「あなたはこうしたほうがいいよ」
「私たちもいつまでも元気じゃないんだからね、あんたたちがしっかりしてくれなきゃ困る」
といったような話にだんだんなっていって、ちょっとうんざりしてしまうという人もいるかもしれない。

親兄弟とのこのようなぎくしゃくした関係は、共感的コミュニケーションをもちいて自分自身と相手に共感し、つながりの質を変えていくことで、もう一度深くつながりなおすことを試みることができるのだが、いまはそれほど辛抱つよくない、いまはのんびりしていたい、という場合、なにか緊急措置としていい手はないだろうか、とかんがえてみた。

こちらにはせっかくの正月、実家でのんびりと気楽に、ゆったりとすごしたいというニーズがある。
同時に親兄弟との関係も落ちついていないと安心できない。
そこで、あらかじめ想定できる親兄弟のニーズを推測しておくわけだ。

たとえば、親にはこちらが成人し、立派な社会人として生活していたとしても、あくまで「子ども」としてのイメージが手放せず、「自分が助けてやらないとまだまだちゃんとできない」という潜在意識があったりする。
「そろそろ子どものひとりも作って家でも買ったらどうだ。おれがおまえの年齢のときには、おまえはもう小学校に行ってたし、この家だって建てていたぞ。一人前の社会人としてそれが当然だろう」
「まだ結婚しないのか」
「子どものしつけもろくにできないのか」
など、さまざまなことをいわれたり、押しつけられたりする。
そのニーズはなんだろう、ということをあらかじめ推測しておく。

「お父さんは私に子どもができて、家も買って、安定した家庭を築くことで安心できるかな?」
「お兄ちゃんは私が結婚して、家庭を持つことで安心できるのかな?」
「私たちの子どもが私たちのいうことをよく聞いて、人に迷惑をかけないような人に育っていくことを大切にしているのかな?」

多くの場合、親兄弟のあなたにたいする不安や不満は、自分の「安心」がそこなわれているという思いこみから生まれている。
そこをただ推測し、共感的に聞いてみる。
共感的な質問ひとことでいい。
ファーストエイドとして試みたとき、どんなことが起こるだろうか。

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