2016年1月12日火曜日

現代朗読のふつうの群読と先端表現としての群読

昨日の朗読表現基礎ゼミには、いつものげろきょゼミ生のほかに体験参加者が3人いらした。

基礎ゼミでは毎回、テーマをもうけて、一般の体験参加の方も歓迎して開催しているのだが、昨日のテーマは「群読の楽しみ/エチュードから作品へ」というものだった。

現代朗読では「エチュード」と呼んでいる朗読表現の稽古の方法がたくさんある。
それらを稽古していく過程で自然に舞台表現作品ができあがっていくことが多い。
一昨年に明大前〈キッド・アイラック・アート・ホール〉でおこなった「夏と私」という公演も、たくさんのエチュードを組み合わせた作品だった。

午前中の基礎ゼミは、基礎訓練のあと、そんな群読エチュードをみんなで体験し、現代朗読と自分自身を味わってもらった。
午後の昼ゼミはゼミ生だけの参加だったので、より先鋭的なエチュードを試みてみることにした。

私には現代朗読のもっとも先端的な表現を試してみたいという欲求がある。
つまり、だれも見たこともやったこともない表現行為の試みだ。
それを「朗読」という表現行為でやってみたいし、これまでもいくらか試みてきている。
今年はそれを明確に掲げて、げろきょ内で「先端表現部」として研究するグループを継続的にやってみたい。

昼ゼミでは、午前中にやった群読からさらに発展して、音声表現としての自由朗読と、身体表現としての自由朗読の両方のアプローチから、実験をさせてもらった。
うまくいった面もあれば、期待どおりにはいかなかった面もある。
いずれにしても、先端表現に一歩踏みこめた感触はあった。

これはスリリングで、厳しく、「楽しい」というような生ぬるいことばではいい表せないようなズキズキする場面で、いまこの瞬間の自分たちの「生」そのものに触れているようなかけがえのない感じがある。
とくに「沈黙」の豊穣さにふれたとき、私はわくわくする。

年初からずっしりとした手応えを感じることができて、付き合ってくれたゼミ生には感謝なのだ。
いっしょに未踏の地へと歩みだしていきたい。

朗読表現基礎ゼミ(1.16)
従来の朗読とはまったく異なったアプローチで驚きを呼んでいる「現代朗読」の考え方と方法を基礎からじっくりと学ぶための講座。1月16日(土)のテーマは「伝達と表現/伝統的表現/コンテンポラリー表現」。単発参加も可。

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