2016年4月26日火曜日

ラベリング(レッテル張り)は楽しいよね

「男ってさ、みんなコドモだよね」
「あなたってB型っぽいよね」
「ゆとり世代ってのはマイペースすぎない?」

ある傾向のある人たちをひとくくりにしてレッテル張り(ラベリング)するのは楽しいですね。
とても盛りあがります。
共感的コミュニケーションでは、ラベリングについては注意を払うようにしています。
ある人になにかのレッテル張りをしたとき、その人についてそのレッテルしか見えなくなり、いまこの瞬間のその人の本当の表情やいきいきしているニーズが見えにくくなることがあるからです。

ラベリングという行為を禁じているわけではありません。
ラベリングは楽しく、使い方によっては世界について理解を深めるひとつの有効な手段だったりします。
人がこの世界を理解するために科学などの学問がありますが、あれなどはラベリングの極致といっていいでしょう。
世界を分節化し、細分化し、ラベリングし、それらの特徴や傾向を洗い出して、複雑な世界の理解を深めるための手段となっています。

一方で、そのようなラベリング行為が、ときに、多様で、一瞬一瞬変化しつづける人の本当の顔を見えにくくしてしまうことがあることにも、注意を払いたいのです。
「あなたは私の親だから」
「彼は私の上司だから」
「おまえはおれの妻だから」
「きみはぼくの妹だから」
などというラベリングにも、相手を特定の枠内の、一定の性質や傾向らに押しこめ、本当はいまこの瞬間その枠にはおさまりきらない行動やニーズがあるかもしれないのに、それが見えなくなってしまうことがあります。

だれかと本当につながろうとするときには、すべてのラベリングをいったん手放し、いまこの目の前にいる人間が、多様で、瞬間瞬間変化しつづける複雑な生命体であり、そこにはなにかニーズが息づいていることに興味を持ち、目を向けていく必要があります。

とはいえ、やっぱりレッテル張りしてあれこれいいあうのは楽しいですけどね。

共感カフェ@羽根木の家(4.28)
4月の羽根木の家での共感カフェは、4月28日(木)19~21時です。