2017年3月29日水曜日

毎回楽しみな身体文章塾

今年2017年からスタートした「身体文章塾」ですが、月に3回のペースで定期開催しています。
そのうち1回は、来れる人は国立まで来てもらって、飲食しながらのいわば「リア充」クラスとなっています。
来れない人はオンライン参加ですが、なぜかその場にいるような感じがして、ネットを介してのつながりも悪くないのです。

ネットを介してのつながりを毛嫌いする人がいますし、私自身もこれにはある程度の限界というか制約を認めていますが、利用価値があることはたしかで、今後さらに積極的に利用したいと思っているし、またオンラインでできることの可能性もさぐっていきたいと思っています。

それはともかく、先日は3月の身体文章塾のリアルクラスを国立で開催しました。
といっても、リアル参加が私をいれて3名、オンライン参加が3名という、半々でしたが。
前回の最後に提示したお題「ホワイトボード」に沿ってみなさんが書いた短文を、それぞれ読み合わせました。

三木くんがまるでコンテンポラリーアートのような、テキストで描いた絵画のような、しかしテキストでしか表現できない一幅の作品――無理にくくれば詩になるのかな――を書いてくれました。
ふーちゃんがとても彼女らしい、ことばが躍動している作品を書いてくれました。
古参の奥田くんが、強い力を持った作品を書いてきて、最初からぐいぐいと引きこまれるようでした。
沖縄の知念さんは、今回も意表をつくアイディアと型破りなフォームで、楽しませてくれました。

奥田くんにしても知念さんにしても、本人が、
「今回はだめです」
といっているときにかぎって、作品がすばらしいのは、理由があるのです。
その理由については、あらためて解説したいと思っていますが、とにかく書いた本人が「これはだめだ」と落ちこんでいるときの作品を読むとき、私はそれがすばらしいかもしれないという逆の可能性を感じて、わくわくします。

参加者の三木くんが送ってくれた感想を紹介します。

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今回、場に出された作品群は力作ぞろい(なぜか作者達の実感とは反して)だったと感じられた。講評にもあったように、良い悪いは読者が自由に感じれば良いことで、作者があらかじめ自分のジャッジメントをアナウンスすることは、かえって受け取り方を狭めてしまうだけではないかと思う。この辺り、書く人・読む人のニーズを探ってみると面白い気がした。
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リアルクラスのときは、いつもより時間をとって、その場でやれるテキストライティングのエチュードに挑戦してもらっています。
今回は「自分の右足の裏について書いてください」という身体感受・感覚のエチュードでした。
私の思惑どおり、自分の身体に注目して書くとき、そのテキストはかなりオリジナリティを持ち、多様性が現れます。
とてもおもしろいテキストがつぎつぎと提出されました。

これも三木くんの感想を紹介します。

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「右足の裏」について書くエチュードでは、各人が改めて自分の身体と向き合う中で、全く違う内容・文体が表出してきた。身体の個別性と文章のオリジナリティは重なる部分もあるが、全てではないはずで、他に何が介在しているのか、これから文章を書いていく中で確かめてみたいと思う。
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身体文章塾に参加するには、まず「テキストライティング・ワークショップ」に参加していただく必要があります。
6時間という長丁場のワークショップですが、興味のある方はがんばって参加してみてください。

自分とつながるテキストライティングWS(4.8)
いまの時代こそ表現の根本である「ことば」が重要であり、私たちは自分自身を語ることばを獲得する必要があります。それを模索するワークショップを4月8日(土)に国立で6時間にわたって、じっくりとおこないます。