2017年5月8日月曜日

ニーズを満たす手段をあせらない

すべての人の言動はニーズにもとずいています。
ニーズとは「いま必要なこと」「大切にしていること」「価値観」などをひとまとめにしていますが、そこには社会的なニーズ、生活のためのニーズ、個人的なニーズなど、さまざまな側面があります。
しかし、いずれのニーズもレイヤー構造になっていて、さらにふかく掘りさげていけば、私たちの存在そのものや生命活動にかかわる根源的なニーズにたどりつくこともあります。

つまりニーズというのは、私たちの命そのものであるといってもよく、命があるからこそニーズがあるともいえるのです。
ニーズがいきいきしているとき、私たちの言動や感情の発露もいきいきします。
ニーズにうまくつながることができず、ぼんやりしているとき、言動や感情の動きも不明瞭になります。

ニーズがはっきりしていると、それを満たすための行動――すなわち手段の行使――にただちに移ることができます。
なにをしたいのか、どうふるまいたいのか、明確になります。

注意したいのは、ニーズがはっきりしていても、手段の行使を急ぎすぎたりこだわりすぎたりすると、ものごとがうまくいかなくなることがあるということです。
手段の行使をあせると、言動がニーズから切りはなされてしまうことがあります。
手段を行使する前は、ニーズに深くつながっておく必要があるのです。

例として、お腹をすかせた虎をあげてみましょう。
虎はながらく獲物にありついていなくて、飢え死にの危機に直面しています。
つまり、生命維持のニーズがあるのです。
彼のニーズは満たされていません。
しかし、満たされていないニーズが「いきいきしていない」といえるでしょうか。

そんなことはありません。
彼のニーズは実にいきいきとしています。
満たされていなくても、ニーズはいきいきとしていて、彼はまさにそのニーズにつながっています。
そのニーズのおかげで、彼の行動は明確になっています。
つまり、自分の能力を最大限に発揮して、獲物をとらえる、という手段をまっとうしたいのです。

このようにニーズが明確になっていてそれにつながっているとき、たとえそれがまだ満たされていなくても、私たちはいきいきとした状態になります。
ニーズを満たすための手段を狙いすましている状態といってもいいでしょう。
この状態になる前に安易に手段に出てしまうと、そこには甘さが出ます。
獲物を十分に狙いすまさないで狩りの行動に出てしまったときの虎のようになってしまいます。

本当のところ、ニーズは満たせていないときのほうが、私たちはいきいきとしているのです。
自分の満たせていないニーズをどうやって満たそうか、お腹をすかせた虎のように狙いすましています。
もちろん、自分のニーズを明確に理解し、それに深くつながっていなければそうはなりませんが。

満たされていないニーズを味わい、よりそい、そのいきいきさを楽しめるようになれれば、人生の風景はかなり変わることはまちがいありません。

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