2017年10月5日木曜日

映画:超高速!参勤交代

ほとんど日本映画を観ない。
理由はたぶんいくつかあって、それらが複雑にからまって潜在意識のなかで暗い翳を作っているんだけど、まだ言語化できない。
映像そのものも、日本映画特有のぼんやりした暗さのようなものがあって、それは私の潜在意識の翳がなせるわざかもしれないが、なんとなく避けて通るような気分がいまでもある。
実際、とても評判がいいのでがんばって観てみたけれど、結局がっかりしたという経験があって、それも私のなかで暗さを作っている。

この「超高速!参勤交代」も、だれかが「すっげーおもしろかった」といっていて、気になっていたけれど、なんとなく片目でにらみながら避けていた。
また「シン・ゴジラ」みたいなことにならなければいいなと思いながら。

ひょんなことで観はじめたんだけど、出だしでもうちょっといやになった。
画面が暗い。
すかっと抜けていない。
日本の田舎の風景って、もっとくっきりと「抜けた」感じがあるでしょう、それがなんで画面に反映されていないんだろう。
まさかフィルムじゃないんだから、いくらでもカラー調整はできるはずなのに。

田舎侍が集団でぶらぶら歩いていく光景が、冒頭のほうに出てくる。
それを見てまたいやになった。
江戸時代の侍がこんな歩き方をしていたはずがない。
こんなふうに手足がぶらぶらと胴体から離れていたら、重い腰のものを運んで歩けやしない。

いくらでもケチをつけたくなるのをがまんして、しばらく観ていると、慣れたのか、あるいは演出が変わったのか、だんだん違和感がなくなってきた。
百姓ら庶民の立ち居振る舞いは、昔の日本人らしくて、私が子どものころに見なれていた年寄りや大人の歩き方、身ごなし、仕事ぶりらしく見える。
とくに身分の高い者にへりくだった態度で接する姿は、現代人の身ごなしとはかけ離れている。

こんなことが気になるのは、私が武術をやっていて、いつも「せめて100年前の身体が見えるように稽古する」ことを心がけているからだろう。
つまり、現代人の身がばらばらで足元が見えていない身体観では、実際に「使えない」からだ。

結局のところ、そういう観察をしながらの映画鑑賞も、楽しくないわけではなかった。
ストーリーは奇抜で無理なところも多いが、自分たちの信念のために必死にがんばっている男どもの話は悪くなかったし、飯盛女役の深田恭子も美しかったし。

映画の最後に、いわきのみんなが愛し、献上するたくあん大根の味について、「土を守り、土をはぐくんできた」その結果なんだというせりふがあるけれど、そこはインパクトがあった。
いま放射能で汚染されて帰還が許されていない、本来豊穣であったはずの大地のことを見据えたオマージュであることは、まちがいない。
ただ一点、そのメッセージを伝えるためだけに作った映画なのではないか、と思えたほどだった。